韓国軍がベトナムで行った
虐殺、強姦、放火、略奪
   2015年8月

Re:光州事件-当時の新聞報道を見る

韓国軍による虐殺、民主化で明らかに

1999年、韓国のベトナム戦争観を揺さぶる出来事が起きた。
韓国の有力週刊誌『ハンギョレ21』が「韓国軍が、ベトナムで
老人や子供や女性をたくさん殺していた」との記事を掲載した。

執筆者はベトナムに留学中の歴史専攻の大学院生、ク・スジョンさん。
韓国は1992年にベトナムとの国交を正常化した。ク・スジョンさんは
1993年にベトナムに留学。以後、ベトナムの歴史研究を続けていた。
1997年、金大中氏が韓国大統領に当選して韓国では民主化がすすめられた。
こうした状況下で、ベトナム戦争に関するパンドラの箱が開けられたのである。

ホーチミン市でベトナム戦争の調査を続けていたク・スジョンさんによると、
執筆のきっかけは、韓国軍による民間人虐殺を調べたベトナム政府の
内部文書を入手したことだった。
「子供や妊婦を虐殺」という内容に驚いた。

注:「子供の頭を割ったり首をはねたり、脚を切ったりして、火に放り込んで殺した。
   女性を強姦してから殺害した。強姦しながら拷問した。妊婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰した」
   という、身の毛もよだつような記述を読めば、誰でも、「マサカ? ホント?」と驚かざるをえない。


ク・スジョンさんは生き残った人から話を聞き、内部文書の内容が
間違いないことを確認した。

ク・スジョンさんは自らの聞き取りをもとに虐殺された民間人数は、
少なくとも9,000人と推測している。

虐殺事件があったビンディン省タイビン村は、アヒルや鶏が小道を横切り、
水田では水牛が遊んでいた平和な村であった。

1966年2月、朝9時過ぎ、韓国軍が突然、タイビン村に進入してきた。
韓国軍は村の住民68人を1か所に集め、うつぶせにさせた。それから
無警告で、突然、一斉に銃撃し、手榴弾を炸裂させた。

グエン・トン・ロンさんの12歳だった妹のフォンさんは頭をやられた。
母は両足を一瞬にして失った。そこまで語ったロンさんが、目を真っ赤にして
泣き出した。「母は死ぬ直前、助けてと叫んだ。私は足をやられ、動けなかった。
母を何もしてあげられなかった」。タイビン村で生き残ったのは
グエン・トン・ロンさんと他2人の計3人だけだった。

「この傷を見てくれ」。グエン・トン・ロンさんは、突然、ズボンを
下ろして足の傷を見せた。手榴弾の破片が体中に残っている。
痛みに耐えられないときは酒を飲む。この日も赤い顔をしていた。

犠牲者の名を刻んだ慰霊碑の脇に壁画がある。虎のマークをつけた
韓国軍猛虎部隊の兵士たちが、手榴弾を手に村人を追い立てる。
家を燃やされ、泣き叫ぶ住民たち。グエン・トン・ロンさんは壁画を指さしながら
「韓国のパク・チョンヒ軍は本当に怖かった」と言った。

ベトナムでは、虐殺事件のあった省の博物館が実態調査を進めている。
「生後数か月の子供や老人が殺されている。赤ん坊や年寄りが武器を
持っていますか。無抵抗です。本当にひどい」。

フーイエン省の調査の責任者、グエン・ティ・キムホア副館長が、
虐殺の場所と犠牲者の数をまとめた報告書を読み上げた。
フーイエン省内で33カ所679人の犠牲を確認と。

韓国軍は、なぜ、非武装・無抵抗の民間人を多数虐殺したのか。
聖公会大学のハ・ノング教授は朝鮮戦争との関連を指摘する。
「当時の韓国軍兵士たちは朝鮮戦争の体験者。
共産主義者は人間ではない。
殺されなければならないという反共イデオロギーの中で成長しました。
『アカ狩り=共産主義者抹殺』への心理的な準備が整っていました。」

韓国政府はベトナムでの韓国軍の虐殺について、
きちんとした真相調査をしていない。

韓国の歴代の大統領たちや韓国の外交官たちは、国内はもとより、
海外でも、国連をはじめ、米国、中国、欧州各国、カナダと、世界中で、
歴史認識、歴史認識と声高く叫んで、世界中で、
日本非難の
ジャパン・ディスカウント
(日本引きずり下ろし)と称する、平和時に、
国際社会では、かってなかった、あまりにも非常識な、道義心と良識を欠く、
日本非難・誹謗の大キャンペーンを繰り広げている。

韓国大統領が日本非難のジャパン・ディスカウント(日本引きずり下ろし)
主導者・煽動者たちを直接表彰する始末である。

表彰された主導者・煽動者たちは、世界一の民主主義国家・言論自由国家・
国際平和貢献国家である日本を、
「極悪非道な日本」と呼んで、
「日本をアジアで
のけ者にする」と息巻いている。

韓国は、北朝鮮同様、
手前勝手な狂っている国と言わざるをえない。

その韓国政府は、ベトナムでの韓国軍の虐殺について、まったく、
調査も歴史認識も行わず、事実の隠蔽に徹して、韓国国民と国際社会を
騙し続けている。筆者が
ウソつき韓国と強く非難する所以
(ゆえん)である。

韓国国内では、ベトナムに派遣された多数の元兵士たちが、
米軍が枯れ葉剤を散布した地域で戦い、枯れ葉剤後遺症で苦しんでいる。
ベトナムでの残虐行為の記憶から精神を病んでいる者も多数いる。

ソウル市内に住むキム・テグンさんは、1965年から2年間、猛虎部隊の
一員としてベトナム派遣された。帰国してまもなく、頭が痛くなり意識を失った。
入退院を繰り返し仕事ができなくなった。枯れ葉剤後遺症で左足がマヒして
歩けない。

「韓国のためにベトナム戦争に行ったので、こんな体になってしまった。
枯れ葉剤後遺症は治療法がないのがつらい」。
世話をしてくれた妻に先立たれ、今は、国からのわずかな傷病手当で
ひとり暮らしをしている。
ベトナム戦争は現在も、韓国の人々に重い影を落としている。




韓国軍がベトナムで行なった虐殺、強姦、放火、略奪などの
残虐行為は、紛れもなく戦争犯罪であり人道に対する罪である。

韓国軍の最高責任者であった当時の朴正煕元大統領、ベトナム
派遣軍の指揮官であった全斗煥元大統領、盧泰愚元大統領は
韓国軍の残虐行為の責任を免れることはできない。

この韓国軍の残虐行為について、当時の朴正煕元大統領の娘の
現在の朴槿恵大統領にはまったく反省の色がない。

韓国軍は、無抵抗の老人、女性、幼児を一か所に集めて虐殺した。
韓国軍兵士は、ベトナム各地でほしいままにベトナム女性を強姦した。

韓国軍は、ベトナムの村々の住民の住居や寺院を見境なく焼き払った
韓国軍兵士は、ほしいままにベトナムの村々で略奪を行った。

正確な数字は算定しようがないが、韓国軍の見境ない残虐行為によって
虐殺されたベトナム民間人の数は数万人といわれる。

暴かれた英雄の犯罪&私の村は地獄になった
出典:ニューズウィーク日本版2000年4月12日号第20頁~第26頁


米誌ニューズウィークは、
韓国週刊誌『ハンギョレ21』のク・スジョンさんたちの調査を紹介し、
「8,000人以上の民間人を虐殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると
7ページにわたり詳しく報じた。

幾重ものタブーであったベトナムでの韓国軍の虐殺事件について火をつけた
ハンギョレ新聞社の報道に対し、韓国国内では激しい報復行為が起きた。

2000年6月27日、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2,000人余りが
ハンギョレ新聞社に乱入しコンピュータなどを破壊した。

彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を
冒涜されたと激しく抗議した。

ベトナムへの韓国軍派兵は1964年に始まり、延べ30万人以上の兵士が参戦した。
ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、
韓国には米軍が散布した枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士たちが相当数存在する。

ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は、ニューズウィークの
インタビューで、「誰に対しても謝罪したり補償したりする必要はない。
あれは戦争だったのだから」と明言した。






Re:
The alleged massacre committed
by the South Korean infantry unit







韓国軍による虐殺行為は、韓国国内では長く隠蔽されてきた。
全斗煥・盧泰愚両元大統領は、ベトナム戦争では派遣軍の指揮官であつた。
ベトナム戦での韓国軍の残虐行為は韓国では幾重ものタブーであり続けた。

韓国の歴史教科書は、ベトナム戦争について、「共産侵略を受けた
南ベトナムを支援するために韓国は派兵した」との1行のみ。

ベトナム研究機関の資料によると、
1965年12月、ビンディン省のプレアン村で、韓国軍は数百戸の
民家を焼き払った。キンタイ村では住民全部を虐殺した。

同省の九つの村では、
韓国軍は民間人に対して化学兵器を使用した。

ビンディン省ではジェファーソン作戦が行われた。
韓国軍は400人以上の住民を虐殺した。

1966年1月、ビンディン省でジェファーソン作戦が行われた。
韓国軍は400人以上の住民を虐殺した。

ブン・トアフラ地方、及びヨビン・ホアフラ地方では、
韓国軍は、住民たちの所有物を残らず略奪し、
仏教寺院から数トンもの貨幣を略奪したうえで、
住民の住宅と仏教寺院・カオダイ教の聖堂を焼き払った。
さらに数千頭の家畜を殺した。

1966年2月、ナムフュン郡で、
韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を防空壕の中へ押し込み、ナパーム弾で虐殺した。
このやり方でアンヤン省の村々で、女性137人、老人40人、子供76人を、
防空壕の中へ押し込め、化学兵器で虐殺した。

1966年3月、ビンディン省で、韓国軍は、数千戸の農家と古寺院を焼き払った。

若い女性のみならず、年老いた女性までを集団強姦した。

1966年8月までに、勇猛な韓国軍は、ビンディン省における焦土作戦を完了した。

つまり、ありとあらゆるものを焼き払った。

フーカット郡では、3万5000人が、死の谷に狩り立てられ、
完膚なきまで拷問されて全員虐殺された。

1966年10月、メコン河流域で、
裸で両手・両足を縛られた19人の遺体が引揚げられた。
韓国軍に強姦された少女たちの遺体であった。
この事件に先立って、同地域で作戦中の韓国軍が、
昼日中に、結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した。
韓国軍は結婚式の招待客の宝石を残らず略奪したたうえで、
3人の女性を川の中へ投げ込んだ。

このような韓国軍による強姦、略奪、虐殺が、ほとんど毎日のように続いた。


クアンナム省ハミ村での韓国軍の虐殺行為
クアンナム省ハミ村は、ベトナム中部ダナン市の南20㎞にある。
ダナン市から国道1号線と並行している607号線を南下して、途中から海岸に
沿った道に入り、さらに南下すると静かな寒村ハミ村に着く。
1968年2月24日、韓国軍はハミ村の老若男女135人を無差別に虐殺した。
ハミ村の慰霊廟に虐殺された135人の名碑がある。



韓国がベトナムでの
戦争犯罪を認めないワケ

ニューズウィーク2013年10月16日

韓国は、声高く日本の植民地支配を非難しつづけているが、
ベトナム戦争で行った韓国軍残虐行為は一切認めようとしない。
なぜか?

ベトナム戦争当時、南ベトナムで戦う韓国軍の残虐冷酷非情は
ベトナム全土では広く知られていた。

現在、東アジアは緊張状態にある。日本と韓国の保守強硬派は、
共に、相手のの過去を暴き、お互いに、「オマエの方がヒドカッタ」との
非難の応酬をしている。

韓国の激しい日本非難のあおりで、ここへきて、韓国軍兵士が
ベトナム戦争で行った残虐行為がクローズアップされてきた。

日韓の憎悪関係は、1910年から1945年まで続いた
日本の朝鮮半島植民地支配時代にさかのぼる。

近代化と称して朝鮮人に強制労働が課され、性的虐待が行われ、
学校では朝鮮語の使用が禁じられた。

日本憎しの思いが高じて、米国は原爆で太平洋戦争を終わらせず、
日本を徹底的に打ちのめせばよかったとネットに書き込む韓国人もいる。

これに対して日本の保守強硬派は、
韓国軍の過去の残虐行為を持ち出して反撃に出ようとしている。

ベトナム戦争の際、韓国は延べ30万人もの兵士を南ベトナムに送り込んだ。

海外メディアは米軍の残虐行為に焦点を当てたが、ベトナムでは韓国軍の
残虐冷酷非情な行為も同様としている。

米軍のベトナム介入が本格化した1960年代後半、
韓国軍はベトナムの中央高地の複数の村で住民を大量虐殺した。

元韓国軍兵士やベトナム人生存者の証言によれば、ビンタイでは村民の
家屋を焼き払い、逃げ惑う人々に無差別に発砲し殺害した。

ソンティン村やタイビン村などでは、ベトコンとして村民を無差別に虐殺した。

日本の保守強硬派は、旧日本軍の「従軍慰安婦」と同様の事例が
韓国軍にもあったと非難する。

韓国軍兵士とベトナム人女性の間に生まれた多数の混血児は「ライタイハン」として、
その存在は広く知られている。
そのどこまでが韓国軍兵士による性的虐待の結果かは不明である。

韓国軍がベトナムで村の住民を虐殺したのは、村人に紛れた共産ゲリラの
襲撃を恐れたからだという。

韓国軍は1回、数十人ないし数百人の無辜の村民を虐殺したという。
旧日本軍の行為に比べれば規模は小さいが、残虐行為に違いはない。
韓国でも一部の市民団体は事実関係の検証を求めている。

認めず、謝らず

だが日本政府と違って、韓国政府は韓国軍のベトナム戦争時の
民間人虐殺の事実を公式に認めようとしない。

「このような意図的で組織的な民間人の虐殺を韓国軍が行うことは
あり得ない」と韓国国防省の広報官は言う。「あればとっくに公に
なっていたはずだ」と。

「韓国軍は南ベトナムの共産化を食い止めるために戦い、規律正しく
任務を果たした。ベトナム女性への性的搾取は一切なかった」とも
韓国国防省の広報官は言っている。

この問題の専門家によれば、資料不足で韓国軍の虐殺関与は確認しづらい。
米国でもベトナムでも、米軍のソンミ村虐殺事件や枯れ葉剤使用については
精力的に調査が進められた。だが韓国は1980年代後半まで軍事独裁政権下
にあったため、韓国軍に批判的な報道は皆無であった。

「韓国軍兵士の行為については、世界のメディアも、世界の人権活動家も
目を向けなかったから、韓国政府は「知らぬ存ぜぬ」を通すことができた」と、
ベトナム戦争の元従軍記者でベトナムや韓国についての著書もある
ドナルド・カークは指摘する。「以前、ベトナムで戦ったことのある
韓国軍兵士が300人殺したと自慢げに話すのを聞いたこともある」と。 

今日、ベトナムと韓国は経済的に強く結び付いており、どちらの側も
過去をほじくり返す気はなさそうだ。

ベトナムへの投資額で韓国は世界第4位、二国間援助額では第2位だ。
ベトナムのグエン・タン・ズン首相は、韓国を今日の繁栄に導いた
サムスン財閥の成功例に学びたいと公言している。

韓国人はベトナム戦争の話はしたがらない。韓国は民間人虐殺を認め、
謝罪すべきかと問うても、韓国の学者や政治家は口を開こうとしない。
徹底的黙秘を貫いている。

韓国のある女子学生に言わせると、ベトナム戦争などは過去の話で、
今さら考慮に値しない。

問題の根本にあるのは「人種差別」で、ベトナムなど歯牙にもかけない
韓国人が多いという。

ただし
「日本は本当に癪に障る(しゃくにさわる)らしい。

日本の朝鮮半島植民地支配の歴史と朝鮮戦争後、日本に資金援助・技術援助を
してもらった恩義があるので、「恩を仇で返す」習性が根強い韓国では、
日本の悪行を暴くといえばたちまち国民は一致団結する。

「格下」のベトナムに自らが行った残虐行為は気にしないが、
日本にされたことはなんでも絶対に許せないというわけだ。

韓国は歴史を葬る国、歴史を歪曲する国、
歴史を捏造する国。それでいながら
歴史認識、歴史認識と喚き立てる国。









出典:第26頁~第30頁

韓国メディアの事実を無視した煽動で
過激化する韓国の反日心理
反日洗脳国民白痴化を止めよ










日本や欧米諸国とまったく異なって、韓国では殺人犯は英雄なのです。

伊藤博文公を殺した殺人犯・安重根は英雄なのです。

朴正煕大統領を殺した金載圭・中央情報部長、朴善浩・中央情報部儀典課長、
朴興柱・中央情報部部長随行秘書官、金泰元・中央情報部食堂警備員、
李基柱・中央情報部食堂警備員、柳成玉・中央情報部食堂運転士たちは
独裁者を殺した英雄なのです。

ベトナムで
多数の民間人を虐殺した韓国軍兵士たちは英雄なのです。

保導連盟事件等で、韓国憲兵・韓国警察に命じて
百数十万人の民間人を
虐殺した殺人鬼・
李承晩は竹島を強奪した英雄なのです。

朝鮮戦争を引き起こして
数百万人を死に追いやり、朝鮮戦争後の粛清で
反対派を皆殺しにした、
殺人鬼・金日成は英雄で、北朝鮮のみならず、
韓国でも、従北信者たちはいまでも、
殺人鬼・金日成の偉業を称えています。

韓国国民の価値観は、日本や欧米諸国とはまったく異なります。
日本国民の皆さん、怒らないで、韓国の価値観を理解しましょう
!?!?!?

    
著者略歴


金賢娥(キム・ヒョナ)著 『戦争の記憶、記憶の戦争
-韓国人のベトナム戦争』

三元社 2009年11月発行

韓国の朴正熙政権は1960年代半ばベトナム戦争に参戦した。
韓国軍の被害は、死亡者5,000人、負傷者1万人、枯葉剤後遺症被害者2万人以上であった。
ベトナム戦争は、記憶の風化と、歴代の韓国政府の徹底した事実隠蔽により、長い間、
韓国社会では忘れられていた戦争であった。

1999年、ようやく、韓国軍による民間人虐殺という衝撃的な事実が明らかになる。
本書は、ベトナム現地調査から始め、真実を記憶することを通して、ベトナムと真の和解を求める
韓国の市民団体ナワウリの足跡を共同代表を務める金賢娥(キム・ヒョナ)氏が記述したものである。

320頁~324頁より抜粋
ベトナムでの惨劇-かれらの傷に語らせよ
ハン・ホング(韓洪九)聖公会大学教授・ベトナム戦争真実委員会執行委員

韓国のベトナム戦争参戦は、韓国側の死亡者は約5,000名、負傷者は1万名超、
枯葉剤被害者は数万名という悲劇を生んだ。

しかしこのベトナム戦争参戦は、私たちに韓国国民には、徹底して忘れられた戦争
だった。この忘れられた戦争が、民間人虐殺という重みを帯びて、最近、
私たちにぐんぐんと近づいている。

本書は、ベトナム戦争での韓国軍のベトナム民間人虐殺現場を初めて訪ねた
市民団体ナワウリの足跡を記述したものである。

雑誌『ハンギョレ21』が、ベトナム戦争での韓国軍の民間人虐殺を初めて報道したのは、
偶然にも、ノグン里虐殺事件がAP通信によって初めて報道される直前のことだった。

ベトナム戦争とノグン里虐殺事件

15~16六年の時を経て、私たち韓国国民は被害者から加害者となった。

本書は【直接加害者】であった韓国軍参戦兵士たちを告発するものではない。

私は大学で学生たちを教えながら、まだ産毛の残る、あどけない、とてもかわいい
教え子たちを見ながら、ああ、ベトナム戦争当時、ベトナムに放り出された
韓国軍兵士たちは、このあどけない教え子たちよりも若い子だったんだなと思うと
嘆かずにはいられない。

なぜ韓国はベトナムのジャングルに、この幼い兵士たちを送り出さねばならなかった
のか。そして、彼らがそこで過ごした1年が彼らのその後の人生にどんな傷を残した
のだろうか。

市民団体ナワウリの2001年8月の現地調査には、数名のベトナム戦争
参戦兵士たちとその家族が同行した。

ベトコンと疑って、自分たちが撃ち殺した民間人の母と対面しなければならなかった
不幸な韓国軍参戦兵士と、彼が花郎武功勲章を貰い、障害一級判定を受け、
国家援護対象者となったが、何の申請もせず、行商で子供たちの学費を稼ぎ
生計を立てねばならなかった不幸な韓国軍参戦兵士の妻も一行に加わっていた。

この妻は、夫の人生の崩壊が始まった場所であり、自分の人生が狂い出した
最初の節目であるベトナムの韓国軍の民間人虐殺現場をを訪ねたのである。

ベトナムと韓国は美しく出会うことができたはずである。
両民族は、中国という巨大な国家の傍で独立と自主を守るために努力してきた
自尊心の強い民族である。同じ儒教文化圏に属していた。

19世紀末、両国は外国勢力の侵略を受けることとなった。
ベトナムは韓国より早く植民地化された。その不幸な植民地の歴史を
記録した『越南亡国史』は、大韓帝国末期の民族知識人の必読書となった。

第1次世界大戦終了時の1919年のベルサイユ平和会議で
ベトナムと韓国の両民族は、共に、民族自決主義に大きな期待をもって
代表を派遣したが欧米列強と日本に無視された。

両国の代表団は血の涙を流して戻らねばならなかった。

第2次世界大戦終了後は、ベトナムと韓国は、それぞれ、南北に分断されてしまった。

ベトナムは地理的には遠いが、韓国とは酷似した歴史的経緯を辿ってきた国であった。

そのベトナムでの解放戦争に韓国は軍隊を送り、民間人を大量虐殺したのである。

ベトナム戦争終了後、30年余りが過ぎた。民間人虐殺問題が各地で湧き起こっている。

20歳前後の貧しい農家の若者は、両親に牛1頭でも買ってあげたいという思いで
ベトナムのジャングルへ行った。

もちろん、駐ベトナム韓国軍司令部は「百人のベトコンを逃しても、
1人の無睾の民間人を傷つけてはならない」ということを、
戦時服務規程に掲げていた。

しかし、この立派な戦時服務規程は、いつ、どこから銃弾が飛んできて、
ブービートラップが炸裂するかわからないベトナムのジャングルでは、
100%無視された。

だいいち、兵士たちは、こういう立派な戦時服務規程があるということを
聞いたこともなかった。

市民団体ナワウリとベトナムを訪ねたある参戦兵士はこう述べた。
「殺してはいけない。子供たちは殺してはいけない。戦争にもルールがあるのだ
という教育を受けていたら、子供たちを、こんなに酷く殺しはしなかった。

しかし、私が受けた教育は、子供も大きくなったら皆ベトコンになるというものでした。」

1966年5月25日、駐越韓国軍司令部が発行した戦訓集では
「部落はすべて敵・ベトコン・ゲリラの活動の根拠地だ」、「ベトコン・ゲリラの補給、
人的資源、及び情報収集の拠点は部落と住民にある。
村落と住民は、ベトコン・ゲリラの基盤であり、下部構造だ」と強調していた。

まだ人生の方向が定まっていない若者たちを、「どこかもわからない」
場所に送り出し、そこがどんなところなのか、何をするところなのか、
何も教えなかった。

ただ、「見えるものはすべて敵・ベトコン・ゲリラだから、死にたくなければ殺せ」
と教えただけだった。

この若者たちをベトナムのジャングルに送り込んだ朴正煕大統領は
18年間、韓国を独裁支配し、工業立国による経済復興を成し遂げた。

ベトナム戦争に参加して、指揮官として武功をたて、昇進に昇進を重ねた
全斗換大統領と盧泰愚大統領の陰鬱な軍事政権独裁時代、
韓国は、産業化と都市化、そして深刻な通貨危機を経験した。

そして韓国は、再び、ベトナムと向き合うことになった。

私たちより先んじてベトナムの黄土の道をたどり、懸命に歩きまわった
市民団体ナワウリの調査チームは、本書通して、
私たちに、ベトナムで見聞きした、彼らの胸痛む話を述べている。

韓国国民が、日本軍の性奴隷として虐待された従軍慰安婦のハルモニたちの
話を聞いて胸が痛むのなら、韓国国民が、ノグンリの悲劇を悲しむのであれば、
韓国国民は何をしなければならないか真剣に考えなければならない。

市民団体ナワウリが、苦痛とともに、韓国社会にベトナムでの
韓国軍の虐殺、強姦、放火、略奪の話を投げかける。
そして韓国社会は、この、まったく知りたくない話から目をそらしてはならない。

韓国国民自身にも、痛みと傷がある。

1980年代の民主化闘争の成果のうえで、韓国国民は、
自身の過去を振り返っている。自らの手で、ベトナムに、
韓国軍が行った残虐な過去を記憶するための記念館の一つでも
建てなければならない。

世の中で最も言いにくい言葉、「ごめんなさい」を小声で言い、
ベトナム国民の手を握らなければならない。

市民団体ナワウリが出した本書は、その小さな一歩を踏み出したものである。




伊藤正子著 『戦争記憶の政治学-
韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題と和解への道』

平凡社 2013年10月発行

第26頁~第28頁より抜粋
韓国雑誌『ハンギョレ21』1999年9月2日第273号の抜粋
ホーチミン市で ク・スジョン

1965年から1973年まで9年間、韓国軍の青龍部隊、白馬部隊、猛虎部隊など
計31万2,853人の将兵が遠い熱帯の土地ベトナムに戦争しに行った。

この9年間に、韓国軍は1,170回もの大規模な作戦を行った。
小規模作戦の回数は約55万6,000回にのぼる。

このベトナム戦争で、韓国軍は、敵軍約4万1,400人を殺害した。
この他に、公式の統計では集計されていないが、多数のベトナム民間人が殺害されている。

文化通信省は、不完全な統計という但し書きを付けているが、韓国軍によって
集団虐殺された民間人の人数は約5,000人と推定している。

しかし、虐殺が行われた村々の住民たちは、この文化通信相の民間人死亡者数を
信頼していない。ベトナム政府は韓国軍による民間人虐殺の真相調査に消極的
であると、露骨に不満を表している。

筆者が、今回、現地調査した地域は、ベトナム政府政治局の『「戦争犯罪調査報告書
-ベトナム南部における韓国軍の住民虐殺犯罪」に紹介された地域の半分に過ぎないが、
韓国軍に虐殺された民間人の死亡者数は約9000人と推定している。

筆者は調査過程で、向きあわなければならなかった死は、筆者が今まで、
死に対して抱いていた高尚で厳粛な概念をすべて覆してしまうものだった。

韓国軍に虐殺された民間人たちは、ベトコンではなかった。烈士でもなかった。

彼らの死は感動的でも悲壮でもなかった。彼らは死んでも厚遇されなかった。
彼らには、烈士の称号も、ベトナム政府の補助金も、韓国政府の補償も、
すべて、まったく与えられなかった。

かれらの村の住民たちは、韓国軍に虐殺された犠牲者たちのために、
長い歳月をかけて、黙々と慰霊碑をたて、慰霊祭を行って、犠牲者たちの魂を慰めた。
韓国軍虐殺行為の資料を作って自分たちの傷を歴史に刻んでいた。

筆者は、数々の虐殺の現場に通い、村々の住民たちの悲しみを何度もかき回したが、
ただの一度も「復讐の危険」に曝されたことはなかった。

重苦しい旅路を終えて、筆者は今、ベトナムの人々が見せてくれた素朴さと
情感に充ちた微笑が胸の中に暖かい泉として湧き出ているのを感じる。

30年が流れた。私たちは、今こそ、ベトナムの人々と共に、韓国軍によって
虐殺された犠牲者たちの鎮魂の歌を歌うべき時ではないだろうか。

『ハンギョレ21』の読者の反響

ク・スジョンの記事に対する読者の反響は大きなものだった。

「韓国は外国を侵略したことがない」と信じ、「我々はは絶えず外国からの
侵略にさらされてきた」という被害者意識が強い韓国人にとって、
「被害者神話」が崩れ去る衝撃的な記事であったからである。





恨み・憎しみを刷り込み、ウソをついて、虚偽報道で、国民を誑かして、反日を煽り立て、
国際平和をぶち壊すことが、韓国教育界と韓国メディアの生き甲斐なのだろうか?!

怖ろしいことである!!!




筆者のコメント:

伊藤博文公は明治維新を成し遂げ、その後、憲法制定・議会開設を主導し、初代内閣総理大臣と
して日本近代化に計り知れない貢献をした偉人である。その伊藤博文公を暗殺した安重根は
日本にとっては、憎んでも憎みきれない凶悪殺人犯である。まぎれもなく犯罪者である。

上記の通り、韓国の最高指導者の一員である尹炳世(ユン・ビョンセ)外相は韓国国会で
「安重根は犯罪者ではない」という答弁を行った。
この答弁は一国の最高指導者の一員としてあるまじき発言である。
この事実を広く全世界に知らせ、韓国の非常識さを国際社会に知らせるべきと思う。

韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相は
「安重根は犯罪者ではない」と主張するのであれば、
一体、なんであると思っているのだろうか。


もし、仮に、某国某州の州議会において、某州知事が、「奴隷解放を成し遂げた
リンカーンを暗殺したジョン・ウィルクス・ブース(John Wilkes Booth)は犯罪者ではない。
・・・・・・である」と発言したらどういう結果を招くだろうか。

もし、仮に、某国の議会において、某国の某外務大臣が、「韓国の工業立国による
経済復興を成し遂げた独裁者・
朴正煕を暗殺した金載圭は犯罪者ではない。
・・・・・・である」と発言したらどういう結果を招くだろうか。

某国の一流新聞社に聞いてみたいと思っている。

韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相の韓国国会での安重根についての答弁は、
日本のみならず、国際社会から、あまりにも非常識な発言であると
徹底的に非難されるべき
ことである。筆者が
韓国は狂っていると強く非難するゆえんである。



筆者のコメント:

ウソつき韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相
「日本は正しい歴史認識を具体的行動で示せ」
という講演には呆れかえる他ない。

日本は韓国に対して、植民地支配と従軍慰安婦問題について、歴代の首相が公式の場で謝罪し、
日本外務省のHPには橋本首相、小淵首相、森首相、小泉首相が連署した、元従軍慰安婦に
対する公式謝罪文を掲載している。更に、実質的な賠償金として、当時の日本国民の平均
月間賃金1440万人分に相当する8億ドルという膨大金額を支払っている。
その後も、歴代首相は、公式謝罪する度に、経済協力と称する巨額の賠償金を払っている。
日本は、国として、礼をつくして韓国に公式謝罪を繰り返してきた。

悪辣極まるウソつき韓国は、暴力団式に、
いつまで
日本からシャブリ取るつもりなのか。

筆者が、ウソつき韓国と強く韓国を非難するのは、韓国は国全体として、
この日本の礼をつくした、
誠実な謝罪を100%無視して、

歴史認識、歴史認識と喚き立てて、世界中で、日本を非難しているからである。

手前勝手な韓国政府は、
韓国自身の歴史認識をまったく行っていない。
ベトナム戦争時の
韓国軍によるベトナム民間人虐殺と強姦、
ベトナム農村のベトナム人住居に対する
無差別放火と略奪の凶悪な戦争犯罪について、
韓国の国としての歴史認識をまったく行っていない。
従って、国として
ベトナムに公式謝罪をしたこともなければ、
賠償金・補償金を支払ったこともまったくない。

韓国初代大統領・李承晩の12年間の韓国の国民1人当たりのGDPは100ドル以下という
実に悲惨な状態であった。巷には失業者があふれ、農村は疲弊を極め、インフラは滅茶苦茶で
あった。それを、日本の膨大な賠償金と真摯な全産業にわたる技術援助で【漢江の奇跡】を
実現したという厳然たる歴史事実を正しく歴史教育で教えているのだろうか?

筆者が、ウソつき韓国と非難するのは、韓国教育界は、子供たちにこの事実をまったく
教えていないからである。

日本に対して、歴史認識、歴史認識と喚きたてる

韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相には良心のかけらもないのだろうか?

極悪非道な殺人鬼・金日成についての歴史認識、
悪の権化で極悪非道な殺人鬼・
李承晩についての
歴史認識をまったく行わないで、

戦後60年間、国際平和と韓国との友好にひたすら貢献してきた日本を、
歴史認識、歴史認識と手前勝手に喚き立てて、非難して、
日韓友好を根底からぶち壊しつつある。
ここ3代の韓国政権は、世界中に、
韓国は道義心と良識を欠き、非常識な、狂った国であると自分自身で宣伝して、
無限地獄への途を辿りつつあるのではないか?
関連サイト:朝鮮戦争の推移と韓国の歴史教科書-殺人鬼・金日成と殺人鬼・李承晩の戦争犯罪


関連サイト:
李承晩の犯罪を忘れるな-100万人以上虐殺の保導連盟事件

韓国政府、南スーダンにおける
日本自衛隊の弾薬提供を非難




           ウソつき韓国の面目躍如




韓国では、ベトナムで
多数の民間人を虐殺した韓国軍兵士たちは英雄







韓国では、朴正煕大統領を殺した金載圭・中央情報部長、朴善浩・
中央情報部儀典課長、朴興柱・中央情報部部長随行秘書官、
金泰元・中央情報部食堂警備員、李基柱・中央情報部食堂警備員、
柳成玉・中央情報部食堂運転士たちは独裁者を殺した
英雄なのです。

韓国では、政権が変わると、暴動を鎮圧した者が犯罪者として死刑宣告、
無期懲役宣告され、
暴動を起こして、建物に放火したり、公共施設を不法に
占拠したり、公共車両・
銃器を強奪して、火炎瓶を投げつけて鎮圧軍を
殺傷した者が
英雄なのです。



平気でウソをつくことは、韓国では当たり前、悪いことではない!?!
反日洗脳国民白痴化を止めよ
Re:
慰安婦は韓国の国の宝 

李承晩のホロコースト(大量虐殺)


パブロ・ピカソ 1951年作 『(李承晩&金日成による)朝鮮の虐殺』 パリ・国立ピカソ美術館所蔵