Remember Rhee's Crime
李承晩の犯罪を忘れるな
100万人以上虐殺の保導連盟
ホロコースト(大量虐殺)


パブロ・ピカソ 1951年作
 『(李承晩&金日成による)朝鮮の虐殺』 
パリ・国立ピカソ美術館所蔵
-李承晩が始めた愛国教育(反日洗脳教育)が韓国国民から
  道義心と良識を奪った!



李承晩と金日成は、韓国をめちゃくちゃにぶっ壊した!
悪の権化・殺人鬼・李承晩政権の12年間、
韓国の
国民一人当たりGDPは100ドル以下の最貧国惨状!!




殺人鬼・李承晩の人殺し犯罪実績①

保導連盟ホロコースト(大量虐殺)事件

1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、
残忍・冷酷な殺人鬼・李承晩は、韓国軍と韓国警察に、
共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」
に登録されている者たちと収監中の政治犯たち合わせて100万人以上を大量虐殺した
保導連盟事件である。

「朝鮮戦争前後民間人虐殺真相糾明と名誉回復のための汎国民委員会」の研究では
60万人~120万人が虐殺されたと。
李承晩が失脚した1960年の四月革命直後に、全国血虐殺者遺族会が、
遺族たちの申告をもとに報告書を作成した。
その報告書は虐殺された人数は114万人
であったと述べている。






関連サイト:殺人鬼・金日成と殺人鬼・李承晩の朝鮮戦争犯罪

殺人鬼・李承晩の人殺し犯罪実績②
済州島・麗水ホロコースト(大量虐殺)

1948年4月、済州島で起こった島民の反政府蜂起を鎮圧するため、
残忍・冷酷な殺人鬼・李承晩は、韓国軍、韓国警察、右翼青年団に命じて
済州島島民の5人に1人にあたる6万人を虐殺した。

残忍・冷酷な殺人鬼・李承晩の命令で済州島の村々の70%が
焼き払われた。

英国のBBCは、この済州島事件のむごたらしい虐殺現場映像を放送して
残忍・冷酷な殺人鬼・李承晩を強く非難した。







1948年10月、済州島で起きた島民の反政府蜂起鎮圧のため
出動命令が下った全羅南道麗水郡駐屯の国防警備隊第14連隊の隊内で
南朝鮮労働党員が反乱を煽動した。この煽動に全隊員が応じて、
第14連隊全体の部隊ぐるみの反乱となった。これが麗水事件である。

李承晩は直ちに鎮圧部隊を投入した。1週間後に反乱は鎮圧された。

第14連隊の敗残兵、その後北部の山中へ逃げ込み、長く執拗にゲリラ
抵抗を行った。

残忍・冷酷な殺人鬼・李承晩は、麗水事件処理と称して、
反李承晩勢力の徹底的殲滅をおこなった。この徹底的殲滅は過酷を極めた。

反乱部隊兵士たちに加えて、「関係あり」との「でっちあげ」常習犯李承晩の
悪辣な人殺し常套手段で、非武装の民間人8,000人以上が殺害された。
身の危険を感じた、実に多くの者が、日本へ密航・国外逃亡した。


朝鮮戦争戦後の飢餓と失業
権力亡者・李承晩の悪政
朝鮮戦争以前、韓国は農業国であった。人口の約7割が農業で生計を立てていた。
それが朝鮮戦争で約40万世帯が農地を失うという悲惨な状態に陥った。

その結果、韓国は歴史上最悪の飢餓に陥った。

日本の植民地支配時代にも凶作による飢餓はあったが、朝鮮戦争後の
権力亡者・李承晩政権時代ほど長い期間にわたって、しかも
広範囲にわたって飢餓に苦しめられたことはない。

それは権力亡者・李承晩政権の悪政を、韓国国民が実感することであり、
国際社会に対して、韓国は文明国ではなく、実は野卑な民族社会であることを
強く印象づけた厳然たる歴史事実であった。

日本の植民地支配時代の1940年の農業生産に較べて、1954年~
1959年の農業生産は、驚く無かれ、僅か30%にまでも落ち込んでいた。

1959年の穀物収穫高は、日本の植民地支配時代最後の年にあたる
1944年の穀物収穫高の半分に過ぎなかった。

李承晩政権時代、毎年、韓国の農産物の生産量は、韓国国民の
絶対必要量に遙かに及ばず、韓国国民の食生活は悲惨な状態に陥った。

1957年3月、李承晩政権自身の発表によると、
飢えに苦しんでいた貧農=絶糧農家の数は350万世帯に達していた。

貧農は、麦の収穫直前期ごろ、文字通り、食料皆無となり、飢えに苦しんでいた
ので絶糧農家と呼ばれていたのである。

慶南、慶北両道の多くの地方では、農家の総数の60%以上が飢餓線上を
さまよっていた。

1957年2月の『韓国日報』は、「絶糧農家のほとんどがトウモロコシや
モヤシのかゆで命をつないでいる。やがては草根木皮をかじるほかはあるまい。
ネズミなどをとって食べなければならない状況だ」と報じた。

さらに韓国経済の停滞は、文字通り、膨大な失業者・半失業者を生み出した。
韓国の失業者数は、1954年3月には132万人を超えていた。
1958年8月には413万人と3倍増、1960年3月には、実に、
600万人以上が完全失業、または、半失業状態で街をさまよっていた。

当時の韓国の総人口2,300万人の住民のうち、
失業者・半失業者が600万人以上であったという厳然たる歴史事実は、
当時の韓国社会そのものが重病人状態であったことを意味している。

職場を確保した「幸せな人たち」も、1日に10時間から17時間の労働に
耐えて、僅かに飢餓賃金を得るのみであった。

失業者・半失業者家庭の少年たちは、乞食同様になって、米軍基地の周辺で
屑拾いとなり米兵の銃弾で射殺される者もいた。貞淑を美徳として来た
誇り高き韓国の女性たちで、生活苦から、【パンパン】に転落した者も
少なくなかった。

1956年-1957年の首都ソウルの悲惨な姿

250万人の人口を擁した当時のソウルーの大部分を占めている庶民の
唯一の楽園は、すべてを忘れて深い眠りにおちいる僅かな時だけだった。
愛する妻子と雁首を並べて夢をみる僅かな一とき、その時だけが
彼ら庶民の楽園だった。

権力亡者・李承晩政権の悪政時代は、
精いっぱい働いても、口に糊することさえ難しい時代だった。

首都・ソウルには真昼の暗黒地帯がいくらでもあった。

【パンパン】をめぐって繰りひろげられる西部劇さながらの世紀末的場面。
スリ、かっぱらい、強盗、……。
1956年度は、これらの犯罪件数は合わせて10万件以上であった。

張勉副大統領暗殺未遂事件、金昌竜中将暗殺事件、国際密輸団事件、等々、
血の雨を降らせた凶悪犯罪が絶え間なく起きた。

「凶悪犯罪には、必ず、国会議員、警察官、高級官吏どもが黒幕として
幽霊のように不気味に浮び上ってくる」、「首都・ソウルは、猟官の輩、悪徳商人、
殺人陰謀家の巣窟に変わった。酒池肉林で蠢く黒幕幽霊が韓国を動かしている?」
(『Korea's Hope』1957年3月号)。

政府予算の半分が国防費

これほどの重病人状態の韓国において、なおも北朝鮮との殺し合いを
続けるために、李承晩政権は、政府予算の半分以上を国防費に
注ぎ込んでいた。これは悲劇であり、同時に喜劇でもあった。

金三奎『東亜日報』元編輯局長は次のように述べた。

「韓国の経済は彪大な国防費のため、どん底に追いつめられていた。
1953年度、1954年度よりましだと言われる1955年度政府予算の
国防費は911億ウォンで、予算総額の54%であった。治安維持のための
内務部費は252億ウォンで予算総額の15%、この二つで予算総額の
69%を占める。復興部に回す金はない。

過大な税金で事業は成りたたず、動力不足で工場は動かず、
経済界は文字通り麻痺状態。

農村は、ほとんど、絶糧という惨状。230万人の完全失業者
200万人以上の結核患者。100万人の傷病兵。

悲惨な多数の病人

当時、韓国の国民は、一旦、悪質な病気に罹ったら完治の見込みはなかった。
従って、当時の韓国の死亡率は世界最高であったと言われている。

当時、韓国人医師の半分以上は、軍隊に編入されていた。

農村部では無医村が多かった。

都市の病院は富裕な者のみが利用できる、一般国民にとっては
【高嶺の花】施設であった。

病院に入院して治療を受けるためには、病人は、【保証金】という名の
賄賂を納めなければならなかった。

当時、一旦、伝染病が発生すると、たちまち、その地方一帯に蔓延し、
死亡者が続出した。

1960年の伝染病患者数は約800万人であった。
そのうち、約200万人が肺結核患者であった。

ライ病患者は20万人、性病患者は60万人であった。

さらに、1960年、乳幼児に小児麻痺が流行した。
その他の疾患と合わせて、当時の乳幼児の2割が病気で死亡した
と言われている。

同じ1960年には、成人間では水腫が流行した。

悲惨な戦争未亡人

朝鮮戦争で50万人以上が戦争未亡人になった。

1954年から1960年にかけて、毎年、1万人以上の赤ん坊が棄て児となった。
棄て児の第一の理由は、母親が育児能力が無かったことである。
朝鮮半島の長い歴史上、かってなかったことであった。

1954年から1960年にかけて、
韓国内では、40万人の女性が【パンパン】になっていたと言われる。
なんとも言いようのない悲惨な世相であった。

このような悲惨な世相にあって、一方では、富裕な韓国人男性の
妾の存在が広がっていた。富裕な男たちと不正の成金者たちは、
自由に、安く、哀れな女性たちを妾として買い入れていたのである。

悲惨な戦争孤児

1954年から1961年にかけて、学齢期に達した
100万人以上の子供が都市の街頭にうろついて食物をあさっていた。

学校に通学していた子供の中でも120万人以上が弁当なしであった。

家のない戦争孤児は50万人を超えていた。義務教育さえ受けられない
彼らの多くが、文盲として悲惨な運命を背負わされた。

多くの戦争孤児たちは、本能的に餌をあさりまわるので、
盗癖が身につき、やがて犯罪へ走りがちになる。

青少年の犯した犯罪数は、1949年には707件であつた。
それが1961年には、実に、12、306件と17倍以上になった。

殺人鬼・李承晩の人殺し犯罪実績③
でっちあげ罪つくり謀略は
李承晩の常套手段であった!


金日成とまったく同様、権力亡者・李承晩は、ライバル、及び近未来において
ライバルになりそうな人物を、情け容赦なく、ためらうことなく、どんどんぶっ殺した。

米軍軍政時代と李承晩政権時代、韓国社会のみならず、国際社会を驚かした
暗殺事件が、ほとんど絶え間なく、次から次へと起きた。

1945年12月、先ず、民主党委員長の宋鎮禹が暗殺された。
翌1946年11月、民主党政治部長の張徳秀が暗殺された。

宋鎮禹と張徳秀は、日本の早稲田大学に学び、朝鮮民族のために
貢献すべく努めてきた人物である。日本敗戦後、『東亜日報』で青年たちを
指導した。まさに、これから活躍しようという矢先になって、
権力亡者・殺人鬼の李承晩にぶっ殺されたのである。

さらに決定的な不幸事は、1947年7月の勤労人民党委員長の
呂運亨の暗殺であった。

韓国の場合、党委員長の暗殺は、その党の抹殺行為に等しい。
もっとも優れた指導者の一人であった呂運亨の暗殺は、朝鮮民族の悲劇と不幸を
意味した。

呂運亨は朝鮮の誇るべき独立運動家にして新生民族社会の指導者であった
といって過言ではないであろう。

呂運亨は1919年の上海臨時政府樹立に参加し、30代で朝鮮独立運動の
最高指導者の一人になった。3・1運動を契機に、上海で大韓臨時政府が
樹立されるや、当時の日本の原敬首相は、懐柔策として、上海臨時政府の
外交部長・呂運亨を東京へ招請して対談することになった。

東京へ現われた呂運亨は、懐柔されるどころか、日本帝都の朝鮮青年学生の
祖国独立精神を鼓舞して感銘を与えた。このことは日本朝野に旋風をまき起こした。

呂運亨の風貌は英国風の紳士を思わせるものであった。しかし、胸に烈しい
闘志を秘めていた。呂運亨の理論は20世紀の希望の星を思わせるものであった。

呂運亨に会った東大教授・吉野作造は、「私は支那とインドの革命家たちの
ほとんどに会ったが、理論と実践、雄弁とその堂々たる風格など、
呂運亨のような立派な人物は他にはいない」と語っている。

日本敗戦直後、阿部信行・朝鮮総督が【日本人の保護問題】などで
相談したの相手は呂運亨であった。
阿部信行・朝鮮総督は呂運亨を解放朝鮮の第一人者と目していた証左である。

権力亡者・李承晩は、自分よりも優れた人物を先頭に立てるのではなく、
その人物をぶっ殺して権力維持を図る、金日成とまったく同様の殺人鬼であった。

第二の決定的な不幸は、1949年6月の金九の暗殺であった。

金九は金日成、李承晩と同様、殺人鬼であったが、殺人動機は金日成、李承晩
とはまったく異なっていた。

金九は18歳にして東学党乱-民族改革運動に参加し、その後安重根の
伊藤博文公暗殺事件と寺内正毅朝鮮総督暗殺未遂事件に関連して投獄された。
服役中に脱走、上海の大韓臨時政府の幹部となった。かれは、日本の
要人暗殺に命をかけてきた。金九は、二重橋爆弾事件、桜田門投弾事件、
上海での白川義則陸軍大将暗殺事件などを指揮した。

昭和戦争末期、金九は重慶へ避難、大韓臨時政府の首席となった。
朝鮮独立運動の旗手として、当時の日本は、「テロリスト金九」として恐れ、
彼の首には莫大な懸賞金がかけられていた。

金九は、1945年11月に帰国した。信託統治反対、米ソ共同委員会
ボイコット、南朝鮮の単独選挙反対を声高く叫び続けた。

帰国後、金九は、一貫して、南北協商を主張し、米ソ両国軍の撤退を
要求し続けた。

金九に強いライバル意識を燃やし、強い脅威を感じた殺人鬼・李承晩は、
1949年6月26日、制服姿の安斗煕・陸軍少尉に金九を暗殺させた。
これは、紛れもなく、李承晩の人殺し犯罪である。

日本官憲に命を奪われなかった金九が、帰国後に、表面的には盟友と
見られてい李承晩に殺されたのである。

金九暗殺後の李承晩の悪行・悪業も凄まじい。

李承晩は、金九の韓独党解体を狙って、金九暗殺の罪を韓独党の内紛の
せいにして、同党の幹部たちを逮捕し投獄した。

暗殺犯人・安斗煕は、李承晩の大統領赦免権によって刑を免除され、
出所後は手厚く優遇され大佐にまで昇進した。

金九暗殺後の李承晩の韓独党解体政策によって、同党の趙碗九、厳恒燮、
金毅漢ら幹部たちは、徹底的に政治活動を妨げられた。彼らはやむなく、
朝鮮戦争時、北朝鮮へ行った。

金奎植を首領とする民族自主連盟も、趙素昂を党首とする社会党も、
韓独党と同じ運命を辿った。

朝鮮戦争勃発直前の5月選挙で野党の有力者、元世勲、尹埼燮、安在鴻、
呉夏英など多数が当選した。しかし、これらの野党有力者たちは、
李承晩にぶっ殺される危険を切実に感じて次々と韓国から姿を消していった。

1955年には、張勉の大統領運動に活動した反共青年団体である西北青年会の
金聖柱副委員長が虐殺された。

最近の韓国某紙によれば、名だたる韓国独立運動家であり、かつ政敵の
金九
(尹奉吉の親分)、曺奉岩、宋鎮禹、張徳秀、呂運亨、金聖柱たちを、
ことごとく、ぶっ殺し、あまつさえ、韓国国民百数十万人を虐殺した
韓国初代
大統領・李承晩の「人殺し実績と反日実績を再評価して、
李承晩を称える
切手が発行された。

さらに、中国の毛沢東
(中国人民約8,000万人を死亡させた)に倣って、
韓国紙幣に肖像を刷り込み、肖像画を南大門に掲げ、

金日成の巨大銅像に負けない、巨大銅像を造って、
反日崇拝対象
にするとか?ウソー!

殺人鬼・李承晩の人殺し犯罪実績④
進歩党・党首・曺奉岩の電光石火の処刑
ソウル地裁判決懲役5年を覆した
高裁と最高裁の逆転死刑判決

李承晩の残忍な支配者ぶりを遺憾なく示したのは、
進歩党抹殺とその党首・曺奉岩の電光石火の死刑処分であった。

残忍な李承晩政権は【政府転覆罪】をでっちあげ、【スパイ容疑】をでっあげ、
ソウル地裁の懲役5年判決を、高裁、最高裁で覆させ、
あまっさえ、死刑執行の法的手続きを完全無視して、
電光石火の早業で、進歩党・党首・曺奉岩を法の名のもとでぶっ殺した(死刑執行した)

殺人鬼・李承晩は、自分に対抗しうる有力人物を抹殺するために、
先ず罪をでっちあげて、法の名のもとに葬っていた(ぶっ殺していた)

1956年の正副大統領選挙において、平和的南北統一を掲げた
進歩党候補の曺奉岩は圧倒的な支持を受けた。平和的南北統一と
政治改革を掲げた進歩党が大きく躍進進出したことに李承晩は大きな脅威を
感じた。将来の大統領選挙対策として曺奉岩抹殺を考えたのだ。

残忍・悪辣な李承晩は「進歩党スパイ事件」をでっちあげて同党抹殺を実行した。

かくて1958年1月10日、残忍・悪辣な李承晩政権はスパイ容疑で
進歩党幹部たち全員を一斉に逮捕した。

進歩党の政綱は国家保安法に違反するとの理由であった。

しかも残忍・悪辣な李承晩政権は、最高裁の判決を待たずに、公党である
進歩党を非合法化した。各地の進歩党組織を警察の手で強制封鎖した。

曺奉岩は1948年8月から1949年2月までの期間、
李承晩政権の初代農林部長官を務めた。1950年6月から
1954年5五月までの期間は国会副議長の地位にあった人物である。

1952年の第2回大統領選挙に立候補して75万票を得た。
1955年秋に進歩党を結成して党首となり、国連監視下の南北統一
選挙実施による平和的南北統一をスローガンにかかげて、
1956年の第3回大統領選挙に立候補して216万票を獲得していた。

権力亡者・殺人鬼の李承晩は、残忍な悪政をくり返しておりながらも、
大統領の地位は自分の専売特許のように思いあがっていた。

残忍・悪辣な李承晩時代、韓国では文字の憲法があっても、実質憲法がなかった。
残忍・悪辣な李承晩時代、韓国では文字の法律があっても、実質は無法国家であった。

2013年8月現在においても、
韓国の最高裁と高裁は、
国際協定を100%無視する判決
出し続けている。
現在も韓国は無法国家と言わざるをえない。

殺人鬼・李承晩の人殺し犯罪実績⑤
今西柳林&居昌
ホロコースト(大量虐殺)


1951年2月5日~7日、慶南山清郡今西面及び咸陽郡柳林面の二かヵ所で、
婦女子を含む約800名の村民が、権力亡者・殺人鬼の李承晩の政権によって
集団虐殺された。
老若男女約800人すべてを、共産分子とみなして、一か所に集めて、
全員を機関銃で虐殺した後、さらにガソリンをかけて焼き殺したという
韓国4000年の歴史においてかってなかった極悪非道な集団大量虐殺であった。

次いで3日後の1951年2月10日、慶尚南道居昌郡神院里という山間部落で
部落全員の老若男女517人が、韓国軍に協力しない共産分子であると断定され、
学校の校庭に集められてみな殺しにされた。集団大量虐殺の手口は、今西柳林
事件と同様であった。

あらゆる悪の要素を身につけていた
李承晩は悪の権化であった


韓国のあらゆる階層において、ぶっ殺されないまでも、権力亡者・殺人鬼の
李承晩の残忍無道さによって、社会から追われた人物は無数である。

政治イデオロギーのライバルにかぎらない。与党・自由党内の醜い争いは
日常茶飯事に繰り返されていた。

李承晩の体質からくる、謀略、陰謀、刺客送り等の悪行・悪業は醜悪を極めた。

反対党、あらゆる反対派への、でっちあげ罪つくり謀略は常套手段であった。

李承晩は悪の権化であった。あらゆる悪の要素を身につけていた。

1952年の朝鮮戦争のさなか、民衆が殺される同族同殺の時期でさえも、
李承晩は、むしろそれを好機ととらえ、警察官と暴力団員を動員して、
ライバル狩りに執念を燃やしたのである。

悪の権化の李承晩流の政治陰謀・ウソつき体質は韓国社会に浸透していった。

ウソつき体質が韓国社会の風潮になっていった。多くの市民たちが、
不道徳な面相をして、悪徳とインチキを身上とし、横暴にふるまい、
官尊民卑の気風に染まっていった。

ハッタリ、脅迫、ごまかし、狡猜さ、虚栄、我利我欲主義、賄賂強要、
不正・不義・不法の横行が、伝染病のように韓国社会に蔓延していった。

韓国社会で、詐術と欺隔と悪知慧が巧妙に発達したのは周知のことである。

その一方で、腐ったエサにありつくための、刺客への潜在的志向者がいかに
多いことか。廃嘘の巷の失業者群と、非生産社会のバクチ根性と密接な関係が
あった。そこは自然発生的な奴隷根性が生じて主体意識を喪う。
【出世】という名のエサを求めて、朝鮮民族の民族性も、真の愛国心も
忘却した烏合の衆と化したといって過言ではない。

多くの韓国国民が、マスコミの煽動に従って、大勢のおもむくままに猪突暴走し、
あるいは右顧左眄し、辻棲の合わないチグバグの足どりを取っている。

不正・不義・不法の塊であった
李承晩政権のインチキ選挙


過去の韓国の基本病源は【大統領選挙】の不正・不義・不法あると言っても過言ではない。

不正・不義・不法の知恵を搾って当選した【大統領】が良い政治指導者になるはずがない。

政治悪にも限度があり、政治悪を強いられる民衆側の忍耐にも限度がある。

李承晩政権時代、韓国国民は何度も騙され続けてきた。

典型的な歴史事実は、1960年3月の大統領選挙であった。

この年の大統領選挙は、文明国「韓国」は、実は野卑な民族社会であることを
世界に強く印象づけた。なぜか?

1960年3月の大統領選挙は、李承晩徒党による
「人間の知恵で考えられる限りの、ありとあらゆるインチキ選挙」だったからである。
一から十まで謀略とインチキから始まった。先ず、突如、「3月15日」を選挙日に
した。この年の大統領選挙は「五月」の予定であった。しかし、野党・民主党の
大統領候補・趙姻玉が、病気手術のために1月下旬に短期渡米した隙を狙って、
突如、「3月15日」を選挙日にしたのである。いうまでもなく、野党側の出馬を
阻止するためである。

李承晩政権は「5月は農繁期で農民の営農事業に支障をきたすから」との
口実を掲げた。ところが、野党・民主党の大統領候補・趙姻玉は、2月15日、
ワシントンのウォルター・リード米陸軍病院で謎めいた急死をとげた。

大統領立候補届出の締切り日は2月13日であった。

最大の野党・民主党は事実上、大統領選挙から締め出しをくった形となった。

そこで「反独裁民主守護連盟」の元首相・張沢相が大統領候補に立候補を試みた。

その元首相・張沢相が、2月13日、大統領選立候補届出手続きに出向く途中、
白昼の街頭で、公然と暴漢に襲われて、書類を暴漢に奪い取られた。立候補が
不可能になった。文明国の選挙に、このような奇怪な事があるだろうか。

その結果、無競争で李承晩の大統領4選が事前に確定した。

朝鮮戦争争勃発の際に、「民主主義を守るために、北の共産主義と戦う」と
米国に哀訴した李承晩の顔がそら恐ろしい。

         李承晩


そればかりではない。元首相・張沢相が立候補届出をする模様を取材するために、
2人のカメラマンが随行していたが、この2人のカメラマンが、突如、
警官の見ている前で、暴漢に暴行された。

この1960年3月の大統領選挙の今ひとつの大きな焦点は
副大統領であつた。

なぜならば、当年85歳の李承晩は老齢にあり、その死後は
自動的に副大統領が大統領に就任することになっていたからである。

李承晩一派は、前回の1956年5月の選挙では、
副大統領を野党候補の張勉に奪われたこともあって、
「李承晩一派で副大統領も絶対に確保する」ための謀略が、
内務部長官・崔仁圭と元内務部長官の張瞭根らによって編みだされた。

この副大統領確保謀略は、李承晩自由党の【選挙方法秘密指令】となって、
韓国全土の警察署、警察官派出所と、地方自治法改正で任命制となっていた
郡守、面長に徹底通達された。

さらにこの【選挙方法秘密指令】を確実に実行するために【選挙督察班】が
組織された。

ところが、この【選挙方法秘密指令】が選挙戦のさなかに、野党・民主党によって
暴露された。

韓国の有力紙『東亜日報』と『朝鮮日報』が【選挙方法秘密指令】の内容を報道した。
韓国全土が騒然となった。

【選挙方法秘密指令】は、「どうしても、大統領と副大統領は、
同一政党から選出されなければならない」と、くり返し繰り返し説明したあと、
次のような手順と方法を指示していた。

①事前投票で先ず4割の票を確保する。次に公開投票場では、3人組、9人組の
組長監視のもとに投票させ、書いた票を見せ合って確認する。これで4割を
押さえて、合計8割の票とする。
②公開投票場を警官と反共青年団で固めて投票者に精神的圧力をかける。
野党選挙委員を、10分間誘い出して、睡眠剤入り酒と水を飲ませて眠らせる。
③以上の第一次計画①②が失敗したときは、第二次計画として公開投票所内の
投票箱のすり替えをする。
④第二次計画の公開投票所内でのすり替えが失敗した場合は、開票所への
輸送途中、または開票所内で、投票箱をすり替える。

まさに、驚くべき内容であった。

これらは、李承晩一派が、過去の様々な選挙でやった
謀略とインチキ選挙の粋を集めたものであった。

『東亜日報』は、「これは人間の搾り出せる悪知恵の粋を集めたもの」と評した。

李承晩政権と、与党・自由党が、文書で、これほどの醜悪行為を指令した
くらいだから、李承晩政権と、与党・自由党の実際行動は、
不正・不義・不法の塊であったことは言うまでもない。

李承晩政権のテロ行為は投票日が近づくにつれて、血なまぐさい事件となって
頻発した。2月9日、麗水で野党系新聞の発行者が路上で暴漢に襲われた。
その後まもなく病院で死亡した。さらに、野党・民主党麗水支部の財務部長が数名の
暴漢に棍棒でなぐり殺された。

選挙当日、一部地区では、与党・自由党側の選挙干渉が激しいため、野党・民主党側は
選挙ボイコット、公開投票場立会人の引きあげ、選挙不承認宣言などをした。

野党・民主党の発表によると、警察官、私服刑事、自由党系暴力団員が、
仁川や全州などで、野党・民主党の立会人の公開投票場入りを妨害した。

全羅南道一帯では、午前7時の投票開始時間が、いつの間にか午前4時に
繰り上げられ、野党・民主党の立会人が午前7時前に公開投票揚に到着した時には、
既にほとんどの投票が終っていた。

これは、与党・自由党が、前夜中に有権者から投票用紙をかり集めて不正投票を
したからである。投票当日は、朝から警察官と暴力団員が、有権者を
公開投票所に狩り立てた。少しでも、反抗、もしくは批判めいた言動をみせたものは
情け容赦なく暴力をふるわれた。

釜山市では、公開投票所内で殺傷された有権者数が23名に達した。
この他にも公開投票所外で暴力団員に暴力をふるわれた者も少なくない。

脅迫、買収、その他の手段を使って棄権を強要する手も使われた。

たとえば、釜山市内の三つの洞だけでも棄権を強要された有権者の数は900名
以上であった。

最も悪辣なインチキ選挙が行われたのは馬山市であった。

選挙当日、馬山市では、李承晩を支持しない有権者に投票番号票を渡さず、
野党系の選挙立会人の立入りを阻んだ。公開投票所では、有権者の記入動作を裏から
監視し、記入した投票用紙を選挙管理委員長に見せよと強要した。馬山市では、
47の公開投票所中、野党・民主党が立会人を出すことができたのは僅か3か所
のみであった。公開投票場のほとんどが、警察官や暴力団員に包囲され、
与党・自由党の立会人だけで投票が行われた。

これに憤慨した大勢の馬山市民は、投票日の夕刻、開票本部に押しかけて投石し、
1人が死亡し、8人が重傷を負う騒ぎとなった。

李承晩の反日政治
大韓民国成立後、李承晩は政権批判をした者はすべて親日政治犯として、
投獄・拷問・処刑を行った。 2年間で親日政治犯として投獄された者の総数は
日本の植民地支配時代の35年間の投獄者数を超えた。
現在においても、親日論者は「反愛国者」として社会的に抹殺されている。
怖ろしいことである。日韓友好どころの話ではない。

李承晩の歴史偽造
李承晩は朝鮮戦争時の記録を偽造した 。
北朝鮮の侵攻を受けた韓国が、あれほど混乱し、半島南端の釜山にまで
追いつめられるほどの醜態をさらしたのは、李承晩に危機対処能力が
まったくなかったことが大きな原因である。

極悪非道な金日成の北朝鮮軍の首都ソウル侵攻が始まるや、李承晩は、
避難民で大混乱状態の漢江の橋を、避難民を無視して、かまわずに爆破させた。
自分自身は米軍基地に逃げ込んだ。

マッカーサー元帥の国連軍の仁川上陸作戦成功で北朝鮮軍の掃討が成功しつつ
あるときは、国連軍としての規律を無視して、韓国軍部隊を勝手にソウルに
先行させた。韓国から北朝鮮への逆進攻が敢行されたのは、
マッカーサー元帥の意図というよりは、李承晩の権力欲による独断専行が大きい。

李承晩の反日洗脳

李承晩は反日政策を強力に推進した。李承晩ラインを設定して日本漁船
328隻を拿捕した。善良な日本の漁船員3,929人を逮捕投獄した。
死傷者は44人にのぼる。善良な日本の漁船員を日韓交渉の人質としたのである。

李承晩は竹島は韓国領であると宣言、占拠した。日本文化を徹底的に禁止した。
親日派と目された韓国国民を徹底的に迫害した。

李承晩は日本の植民地支配時代、韓国にはおらず、ほとんどを海外で過ごしていたため、
日本や日本人というものを極めて偏った、観念的にしか理解していなかった。

李承晩が始めた反日洗脳教育は、その後、現在にいたるまで、韓国教育界によって
強力に実行されてきた。60年間以上にわたる反日洗脳の結果を払拭することは、
到底、できない。


この結果、しみついた傲慢な態度・行動が、世界各国の良識ある人々の顰蹙を
かうことは避けられない。

本当に、心から、未来志向を考えているならば、直ぐに、反日洗脳教育を止めることである。
しかし、「止める気はサラサラない」「止めることは、できるはずがない」というのが
日本国民の共通認識である。

国際条約と日本の誠実な謝罪と膨大な賠償金支払いと真摯な技術支援を無視する
韓国最高裁の判事たちを生んだのは李承晩が始めた反日洗脳教育であるといっても
過言ではないと思う。日本と韓国の間に横たわる問題のすべては李承晩時代に始まる。

諸悪の根源は李承晩が反日洗脳で植え付た
対日憎悪心恨み心による道義心良識麻痺

感謝貢献の精神を植え付けないで、愛国教育の名のもと、幼児段階から
反日洗脳教育で対日憎悪心の植え付けと恨み心の植え付けに狂奔してきた
韓国教育界と韓国マスコミの反日煽動姿勢が諸悪の根源である。

感謝貢献を忘れた対日憎悪心・対日恨み心は、容易に、対米憎悪心になる。
韓国が、今後、対日本のみならず、対米国で深刻な問題を起こすことは避けられない。

2013年8月時点で、既に、反日を生き甲斐としている朝鮮日報が、数字を挙げて
嘆いている通り、豊かな一流国家・韓国の売春婦輸出問題は、米国・オーストラリア・
カナダ等で問題になっている。反日洗脳教育で、幼児段階から、恨み・憎しみを
植え付け、道義心・良識を麻痺させてきた祟りである。

現在においても韓国社会に脈々と生き続ける
李承晩流ウソつき体質




上記、尹美香・韓国挺身隊問題対策協議会常任代表の日本政府非難の檄文は、
まさに、悪意に満ちた、ウソつき韓国を代表する文章である。

5月29日は悪の権化・李承晩が、韓国から逃亡した日

 日本敗戦の年、1945年10月、韓国にやってきた李承晩は、
 米軍の庇護のもと、1960年までの15年間に、暴君として、
 考えられるかぎりのありとあらゆる悪事を行い、韓国の国土を
 メチャクチャむにぶっ壊した。
 韓国国民を大量虐殺した。政敵の皆殺しを実行した。
 まさに、歴史に残る暴君としての専制政治を行った。

 特筆されることは、悪の権化・李承晩の大統領時代12年間は、
 国民一人当たりGDP100ドル以下の世界最貧国であった。
 失業者は巷に溢れ、売春買春は日常茶飯事化した。

 李承晩のあまりにもの暴虐政治にたまりかねた韓国国民は、
 1960年、民衆による李承晩打倒デモを起こした。

 またたくまに、韓国全土に広がった李承晩打倒デモは、
 李承晩の直接命令による、警察・軍の無差別鎮圧殺人によって、
 186人もの死者を出した。

 米国政府は呆れ果てて、駐韓米国大使のマカナギーに、
 李承晩辞任を強要させた。李承晩が大統領を辞任しなければ、
 米国は対韓経済援助を中止するとまで宣言した。

 米国に見放された李承晩は、「行政責任者の地位は去り、
 元首の地位だけにとどまる」と発言した。
 これがまた韓国国民の凄まじい怒りを引き起こした。

 パゴダ公園にあった李承晩の銅像が引き倒され、韓国国会は
 全会一致で、李承晩の大統領即時辞任を要求した。

 李承晩の息子は自殺した。殺されずにすんだ李承晩は、
 1960年5月29日、ひとり米国に逃亡した。そして、
 しぶとく90歳まで生き延びた。

 特筆すべきことは、韓国教育界は、この悪の権化・李承晩の
 徹底した社会的反日洗脳を、年々、より忠実の墨守し、
 現在の「反日慰安婦狂い」韓国を創り上げたことである。
 韓国歴史において、燦然と光り輝く李承晩の歴史捏造歪曲
 亡国貢献である。

1945年、日本敗戦直後の韓国の政治状況


1945年の日本敗戦によって日本の朝鮮半島植民地支配が終わった。

直ちに、朝鮮半島に政治的混乱が起こった。現在に至るも続く政党間・徒党間・
派閥間の凄まじい権力闘争である。

この時期の代表人物は、上海で臨時政府を率いた金九、米国で独立運動を
続けてきた李承晩、満州で抗日パルチザンとして活動していた金日成、
朝鮮左翼運動のリーダーだった呂運亨の4人である。

北度38度線を境に、北はソ連軍が、南は米国軍が占領して軍政を実施した。

北朝鮮はソ連に全面的な支援を受けた金日成が政権を握った。

南朝鮮は、李承晩が、金九と呂運亨を暗殺して大統領の座を手に入れた。

李承晩政権(1948年~1960年)-悪の権化の統治時代

李承晩は、朝鮮独立運動を行い、上海の大韓民国臨時政府の初代大統領を
務めただけの政治能力ゼロの殺人鬼・権力亡者であった。

李承晩は、30年余り、海外を流浪していたため、1910年代以後の日本の
朝鮮半島植民地支配の実態をまったく経験していない、知らない。
典型的な、空理空論を唱える、権力欲が異常に強かった自己中心発想の
人殺し政治家であった。

悪の権化であり、対日憎悪の権化でもあった李承晩は、竹島を不法占領した
極悪人であり、李承晩ラインなるものを唱え、日本漁船328隻を拿捕し、
日本人漁師3929人を拘禁し、内、44人をぶっ殺したことで、日本おいては、
韓国歴史上、最も極悪非道な対日犯罪実行者として広く知られている。

対日憎悪の権化・李承晩は、日本人は顔も見たくないという異常な日本憎悪感の
持ち主で、日韓交流どころか日本との対話の機会すら設けようとしなかった。

韓国内において日本文化・日本語等、日本に関するモノ・コトをすべて排除させた。
幼児段階からの凄まじい反日洗脳教育を始めたのも李承晩である。
李承晩の反日洗脳教育によって韓国においては親日=売国奴という意識が
社会の隅々にまで定着した。経済的には、国民一人当たりGDP100ドル以下の
最貧国であった。

第2次世界大戦の被害をまったく受けなかった韓国を、
李承晩は、メチャクチャにぶっ壊し、
国民を餓死寸前状況に追い込んだ。
李承晩は本当に悪いヤツであった。





朴正煕政権(1961年~1979年)
-朴正煕は瀕死の状態にあった韓国を、
日本を徹底的に活用することで蘇らせた
朴正煕は韓国歴史上特筆されるべき
偉い人であり、
かつ
悪い奴である-

不正・不義・不法の塊であった李承晩政権のインチキ選挙に耐えきれなくなった
学生を中心とする李承晩打倒市民のデモによって、1960年、悪の権化・
権力亡者・李承晩が失脚した。

李承晩失脚により新しく政権の座に就いたのは民主党の尹善大統領・
張勉首相であった。しかし、強力なリーダーシップ欠く民主党政権は、
低迷を続ける最貧国経済状態を改善できなかった。

1961年5月、朴正煕が軍事クーデターを起こして権力を掌握した。

朴正煕は、大邸師範学校を卒業後、小学校教員、満州軍官学校、日本陸軍
士官学校、満州国の将校を経験した人物で、誰よりも日本の植民地支配の
長所と短所を理解していた。

当時の韓国は極めて貧しい国だった。国民一人当たりGDPは100ドル以下、
第一次産業以外には産業らしい産業も存在していなかった。
輸出を行える製造業は皆無であった。

その極めて貧しい韓国が、経済構造を改革し、製造業を創りだし、
産業インフラを整えるためには膨大な資金と製造業を立ち上げる製造技術が
必要であった。

当時の韓国は、製造業を創りだし、産業インフラを整えるために、資金と技術の
両面で日本の援助を受けざるをえなかったのである。

対日憎悪感と権力欲のため日本との国交正常化を100%無視していた
李承晩とは違い、朴正煕は、積極的に日本との交渉を進め、
1965年に、賠償金という言葉は使わずに、経済協力という表現で、
日本から、日本の植民地支配、従軍慰安婦に対する補償、徴用工に対する
補償として、総額8億ドルもの、膨大な、実質的な賠償金を引き出すことに
大成功した。

同時に、最新の製鉄技術を中心に、ほとんどあらゆる製造業の分野において、
日本の最新技術の供与を受けることに大成功した。当時の新日本製鉄は
3,000人もの大製鉄技術者集団を 浦項総合製鉄所の現場に送り込んで
当時の世界銀行が「不可能」と断言した韓国製鉄業の立ち上げに全面協力
したのである。

韓国歴史上、特筆されるべき朴正煕の偉大な功績である。
【漢江の奇跡】は日本の資金援助・技術援助によって実現したのである。

しかしながら、李承晩の反日洗脳教育に深く毒されていた韓国内では、
朴正煕政権の対日政策が「屈辱外交」であると非難する激しいデモが起きた。

国交樹立に反対する声も多かった。朴正煕は反対を押し切って、日本からの
経済協力(資金援助・技術援助)を積極的に活用していった。

朴正煕は韓国の近代化を達成することを最優先課題としたためである。

朴正煕の判断が正しかったことは現在の韓国経済の繁栄が実証しているが、
李承晩以来の反日洗脳教育に骨の髄まで犯されている韓国国民は、
この厳然たる歴史事実を認めようとしない。

しかし、朴正煕はしたたかな人物であった。彼は日本の経済協力(資金援助・
技術援助)を積極的に活用する一方、李承晩の反日洗脳教育を強化していった。

朴正煕は、朝鮮民族意識を鼓吹する朝鮮民族主義的な教育と宣伝に注力した。

朝鮮民族の過去の歴史と先祖を偉大なる存在として描く
朝鮮民族主義的な教育中に「強烈な反日感情の刷り込み」が含まれるのは
必然的なことであった。

日本に勝つことを「正義」とし、日本に対し抵抗し続ける「我々」を
「英雄」として扱うのが、最もわかりやすく、かつ、最も効果があがる
方法であるからだ。

「英雄」の戦功、及び味方の正統性を強調する手段としてよく使われる方法が
二つある。

一つは敵を優れた能力の所有者と描写することである。

もう一つは敵を残酷で邪悪な存在として描写することである。

前者は「敵を倒した我々はもっと強く誇らしい」というイメージを植え付ける。
後者は「残酷で邪悪な敵を倒した我々は善良で正義である」というイメージを
植えつける。

豊臣秀吉の朝鮮侵略と太平洋戦争では、韓国は、日本を打ち負かすことは
できなかった。韓国が「我々はもっと強い」と主張するのには無理がある。

そこで韓国が採択したのは、第2の方法、すなわち、日本を限りなく残酷で
邪悪な存在として描写するということであった。


朴正煕の朝鮮民族主義的な教育は、目論見どおり、韓国社会に「韓国に対する
自尊心」を芽生えさせることに成功した。同時にこのことは、李承晩が
植え付けた「強い反日感情」を増幅させることにも成功した。

しかも悪辣な朴正煕政権は、この反日感情を「金大中拉致事件」及び
「文世光事件」で悪用するのである。

1973年、東京のど真ん中で起きた「金大中拉致事件」は日韓関係を
大きく悪化させた重大事件であった。

韓国の駐日大使館の外交官と韓国中央情報部(KCIA)が、日本に避難中の
金大中を、白昼、拉致したこの事件は、日本社会へ大きなショックを与えた。

この白昼の韓国政府の犯罪劇は日本国民に、韓国は独裁国家であるという
強烈な印象を与え、日本国内に反韓感情が高まる原因となった。

韓国内でも朴正煕政権批判の声が上がり、朴正煕政権は国内外のマスコミから
連日叩かれた。

そこで悪辣な朴正煕政権の邪悪な韓国中央情報部(KCIA)が始めたのが
韓国国民の反日感情を活用して、「金大中事件についての日本メディアの
報道は偏っている」との日本を非難する世論をでっちあげることであった。

邪悪な韓国中央情報部(KCIA)は、韓国の反日団体、右翼団体、在日韓国人団体に、
日本非難活動を積極的に行うよう指導した。

これは、まぎれもなく、韓国の「サカウラミ」であり、「逆ギレ」である。

自らの「過ち」を日本に対する「怒り」を煽り立てることで塗り潰そうとしたのである。

しかしながら、朴正煕政権は窮地に追い込まれる一方であった。

ここに朴正煕政権の立場が一気に逆転する大事件が起きる。

金大中拉致事件から1年後の1974年に起きた
「文世光・朴大統領夫人殺害事件」である。

1974年8月15日、韓国政府の記念式場で、在日朝鮮人の文世光が
朴正煕大統領を狙って撃った銃弾が、隣にいた陸英修大統領夫人に当たり、
陸英修大統領夫人が死亡した。

在日朝鮮人の文世光が韓国へ渡り起こしたこの事件は民族内の
問題ではないかと思われるかもしれない。

問題は、殺害に使われた拳銃が日本の警察署で紛失したものであった点、
そして韓国政府が発表した共犯の中に日本人夫婦が含まれていた点である。

共犯として名前が挙がった日本人夫婦は犯人の知人ではあったものの、
韓国へは入国すらしておらず、事実無根と関連性を否定した。

にもかかわらず、何の証拠も関連性も立証されないまま、
悪辣な朴正煕政権のでっちあげ悪宣伝によって、韓国社会には
「国母・陸英修大統領夫人殺害のの共犯者が日本人」という認識だけが広がった。

朴正煕政権批判という韓国社会の怒りは、巧みに、日本への怒りにへと
すり替えられたのである。

その日本への怒りは日本商品不買運動といった反日運動にまで発展した。

悪辣、かつ狡猾な韓国中央情報部(KCIA)の謀略の勝利であった。

朴正煕政権は言論、出版の自由を厳しく制限していた。
朴正煕政権は国民感情を思い通りにコントロールしていた。

朴正煕政権は政局運営において李承晩が植え付けた、反日感情
増幅させて利用し始めた悪辣な政権であった。

盧武鉉(ノムヒョン)政権(2003年~2008年)
-反日政策数歩前進
北朝鮮に対しては史上最大の援助

反日を強力に推進した盧武鉉李明博

盧武鉉は、反日政策を数歩前進させる画期的な犯罪を行った。

それは「過去を審判する」という美名の下で行われた「親日派処断政策」である。

2005年、日本敗戦後、既に半世紀が過ぎ、日本の朝鮮半島植民地支配を
記憶している人たちの数も少ないこの時期になって、盧武鉉
「親日派から相続した財産は国家に帰属すべきだ」という内容の
「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」を正式に制定した。

韓国が独立して60年以上経った2005年に、いきなり、日本の朝鮮半島
植民地支配時代の、高級官僚、軍人、協力者、もしくはその子孫が所有している
財産を韓国政府が没収することが可能になったのである。

そして、これを契機に、韓国内では再び「親日派論争」が起きた。

「親日派の子孫たち」は違法性を訴えたが、韓国の最高裁は
「親日派の財産没収は民族精気の回復と独立運動の精神が含まれている
韓国憲法の理念を見る限り合法」という判決を下した。

この最高裁の判決を多くの韓国人は歓迎した。

恣意的な「国民の合意」の前では、「事後法の禁止」、「遡及処罰の禁止」
といった基本的な憲法の規定は何の意味も持たないという極めて危険な
判決であった。

韓国は、文字の憲法はあるが、実質的な憲法は存在しない無法国家
あることを、最高裁が、堂々と、国際社会に発信したのである。



盧武鉉の
反日政策実行
国際平和を脅かす犯罪行為
盧武鉉前大統領
5年間(2003年~2008年)の
任期中、それまでだれもやらなかった反日政策を実行して、
日韓友好関係を徹底的にぶち壊し、国際平和を脅かした。


対日憎悪感の権化江沢民前中国国家主席と並ぶ韓国における
対日憎悪感の権化が盧武鉉(ノ・ムヒョン)前韓国大統領である。

盧武鉉は反日洗脳教育を強力に推進してきた韓国教育界の
熱烈な支持を得て大統領に選ばれた。
盧武鉉は韓国国策反日洗脳教育から
反日政策実行へと大きく変えていった。

10以上の反日特別法を成立させた。韓国は、日韓請求権・経済協力協定や、政府開発援助で
日本に膨大な賠償金を支払わせたが、これでは、強欲な反日韓国国民は満足しないと、
改めて日本の植民地支配や、元従軍慰安婦、元徴用工に対する日本の責任の追及、補償を行う
ための過去史基本法を成立させた。

2005年3月、盧武鉉は、3・1独立運動の記念式典演説で、それまでの日本の誠実な謝罪、
膨大な賠償金支払い、真摯な技術援助を100%無視して、日本は、永久に、繰り返し、繰り返し
植民地支配への謝罪を行わなければならないと演説した。

今までの膨大な賠償金支払いでは、強欲な反日韓国国民は満足しないから、もっともっと
賠償金を払えと演説した。盧武鉉は、この演説目的を達成するために、韓国マスコミと韓国教育界を
煽り、反日デモを激化させ、韓国国民の反日感情を増幅させることに狂奔した。

盧武鉉は、2005年8月18日、いわゆる親日派韓国国民の財産を没収するための
政府機構・親日反民族行為者財産調査委員会
を本格発足させた。

さらに盧武鉉は、日本統治時代のいわゆる「親日派」の子孫を排斥弾圧する
法律「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び
親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」
を施行した。

盧武鉉の、これらの法律は、明らかに法の不遡及の原則に反し、明確な韓国憲法違反である。

対日報復の鬼であり、対日憎悪感の権化であった李承晩は徹底した反日洗脳教育を行ったが、
北朝鮮の金日成の戦争犯罪によって徹底的に破壊された
韓国の国土を復興させ、韓国を前近代的農業国から近代的工業国へと変身させる
ことに大きく貢献した朴正煕元大統領、全斗煥元大統領、金泳三元大統領などは
李承晩や盧武鉉のような、異常な対日憎悪感は持っていなかった。

2006年3月20日、盧武鉉は全斗煥元大統領ら170人の叙勲を取り消した。

2006年4月21日付のワシントンポスト紙は、盧武鉉政権が日本の海上保安庁の竹島周辺海域
海洋調査を阻止するために島根県内の防衛庁施設に対する軍事攻撃を検討していたと報じた。

もし、仮に、万一、盧武鉉政権による島根県への軍事攻撃が行なわれたならば、
韓国は、国際的に非難され、国際社会における信用失墜、及び経済制裁を受けたかもしれない。
韓国国内からも、盧武鉉の無謀極まる反日独断に強い憂慮の声があがった。
盧武鉉反日政策実行は、
国際平和をぶち壊す犯罪行為
であり、
本当に悪い奴であった


2006年4月の緊迫した日韓関係について、
米国大使は「韓国はirrationally Crazyと。
筆者は、竹島問題の解決は、日本が韓国の竹島領有を公式に承認する以外に
あり得ないと思う。

石橋湛山元首相の「一切を棄てる覚悟」が必要である。

盧武鉉の
反日政策実行
国際平和を脅かす犯罪行為
盧武鉉前大統領
5年間(2003年~2008年)の
任期中、それまでだれもやらなかった反日政策を実行して、
日韓友好関係を徹底的にぶち壊し、国際平和を脅かした。


対日憎悪感の権化江沢民・元中国国家主席と並ぶ韓国における
対日憎悪感の権化が盧武鉉(ノ・ムヒョン)・元韓国大統領である。

盧武鉉は反日洗脳教育を強力に推進してきた韓国教育界の
熱烈な支持を得て大統領に選ばれた。

盧武鉉は
韓国国策
反日洗脳教育から
反日政策実行へと
大きく変えていった。


10以上の反日特別法を成立させた。韓国は、日韓請求権・経済協力協定や、
政府開発援助で日本に膨大な賠償金を支払わせたが、これでは、
強欲な反日韓国国民は満足しないと、改めて日本の植民地支配や、
元従軍慰安婦、元徴用工に対する日本の責任の追及、補償を行うための
過去史基本法を成立させた。

2005年3月、盧武鉉は、3・1独立運動の記念式典演説で、
それまでの日本の誠実な謝罪、膨大な賠償金支払い、真摯な技術援助を
100%無視して、

日本は、永久に、繰り返し、繰り返し植民地支配への謝罪を行わなければ
ならないと演説した。

今までの膨大な賠償金支払いでは、
強欲な反日韓国国民は満足しないから、もっともっと賠償金を払えと演説した。

盧武鉉は、この演説目的を達成するために、韓国マスコミと韓国教育界を煽り、
反日デモを激化させ、韓国国民の反日感情を増幅させることに狂奔した。

盧武鉉は、2005年8月18日、いわゆる親日派韓国国民の財産を没収するための
政府機構・親日反民族行為者財産調査委員会
を本格発足させた。

さらに盧武鉉は、日本統治時代のいわゆる「親日派」の子孫を排斥弾圧する
法律「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び
親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」
を施行した。

盧武鉉の、これらの法律は、明らかに法の不遡及の原則に反し、
明確な韓国憲法違反
である。


対日報復の鬼であり、対日憎悪感の権化であった李承晩は
徹底した反日洗脳教育を行ったが、
北朝鮮の金日成の戦争犯罪によって徹底的に破壊された
韓国の国土を復興させ、
韓国を前近代的農業国から近代的工業国へと変身させる
ことに大きく貢献した朴正煕元大統領、全斗煥元大統領、金泳三元大統領などは
李承晩や盧武鉉のような、異常な対日憎悪感は持っていなかった。

2006年3月20日、盧武鉉は全斗煥元大統領ら170人の叙勲を取り消した。

2006年4月21日付のワシントンポスト紙は、盧武鉉政権が日本の海上保安庁の
竹島周辺海域海洋調査を阻止するために島根県内の防衛庁施設に対する
軍事攻撃を検討していたと報じた。

もし、仮に、万一、盧武鉉政権による島根県への軍事攻撃が行なわれたならば、
韓国は、国際的に非難され、国際社会における信用失墜、及び経済制裁を
受けたかもしれない。韓国国内からも、盧武鉉の無謀極まる反日独断に
強い憂慮の声があがった。

盧武鉉反日政策実行は、
国際平和をぶち壊す犯罪行為
であり、
本当に悪い奴であったとつくづく思う。

2006年4月の緊迫した日韓関係について、
米国大使は「韓国はirrationally Crazyと。


李明博政権(2008年~2013年)-やはり最後は「反日」

李明博は1964年、日韓国交正常化に反対する反日デモ活動を主導し、
逮捕された経歴がある。

李明博は当選直後の式典演説の度に、「日本へ謝罪を求めることは止める」と
表明した。それは彼の未来志向の友好、協力関係を目指すという決意表明であった。

李明博政権は、3年目まで40~50%の高い支持率を誇っていた。

4年目、親族の不正事件関与などが報道され、支持率が30%にまで下がると
決意を変えて「反日力ード」を持ち出した。

2012年7月、李明博の実兄が金融機関からの違法金銭授受容疑で逮捕された。

李明博の支持率は、大統領就任後最低の17%にまで大きく落ち込んだ。
12月の大統領選挙を控えて、与党と大統領としては危機的な状況に陥った。

焦った李明博が打った手が、2012年8月10日の韓国大統領としては
初めての竹島訪問である。

韓国国民は、こぞってこの李明博の怪挙を大きく賞賛した。

大統領が竹島を訪問することは、反日感情の強い韓国国民を喜ばせる
ことにはなるかもしれないが、日本国民をあまりにも強く刺激する行動であり、
歴代大統領も竹島訪問だけはしなかった。

李明博の竹島訪問が日韓関係にもたらす
悪影響はあまりにも大きい。


ここで興味深い点は、反日感情でいうと、韓国内のどの団体、誰よりも
強いはずの韓国左派と野党が、李明博の竹島訪問歓迎の意思をほとんど
表明しなかったという事実である。

『韓国が反日国家である本当の理由』は以上

朴槿恵習近平は、「歴史認識、歴史認識」と喚きたて相互嫌悪感、
相互憎悪感を煽りたてている。

英国のエコノミスト誌2009年10月10日号は、
「中国の学校は歴史教育において平気でウソを教えている。
歴史事実とねつ造した歴史をごちゃ混ぜにして教えている。
生徒が歴史事実と称するねつ造した歴史について質問することを禁じている」と
明確に指摘している。

韓国の学校教育とマスコミ報道も同様である。

School textbooks in China have a habit of bending the truth,
to suit Communist Party dogma or to reinforce moral messages.

In Chinese schools, the dividing line between historical fiction
and history can easily be confused.

Children are often not taught to make a distinction.


 4,000年の歴史を通して、中国は、朝鮮半島にとって、大事な大事な国です。日本は?
 米国は? 反日感情のみならず、根強い反米感情が脈々と生き続けています。 
 朝鮮戦争はなかった!?  中国は先祖の主人です。中国は先祖の仇ではありませんよ!
 主人国・中国が可愛がっている凶暴悪逆な北朝鮮は兄国ですよ!!!???


北朝鮮秘密警察・国家保衛部が金正日独裁政権を維持するために、
罪のない人たちを、恣意的に逮捕・強制収容することは日常茶飯事である。

北朝鮮秘密警察・国家保衛部が恣意的に逮捕・強制収容するシステムは、
北朝鮮秘密警察・国家保衛部の部員たちの、たかりの手段としても多用されている。
すなわち、闇市場で商売している住民たちは、恣意的な逮捕を免れるために
彼らに賄賂を差し出している。

反日推進・韓国亡国に必死の
       尹美香・挺対凶





癌細胞増殖と酷似する、
尹美香細胞の着実な増殖によって、
韓国は、日々、着実に、体力低下が進行している。
日本をヤッツケル前に、ダウンしなければよいのだが? ナニ、ヨケイナお世話ダト!

おんな・お頭・尹美香は、「韓国国民の頭から、感謝貢献の気持ちを徹底的に無くす」
というとんでもないことに 、日夜、励んでいる。 その罪は李承晩に劣らないよな!
オソロシヤ!オソロシヤ!!

李承晩の反日洗脳→国民白痴化が尹美香・酷王の威力を増大させたのよ!
日本が自壊するまでヤメナイわよダ! ワォー!!

2016年1月13日の水曜集会で、酷い地面座りから立ち上がった、 
李容洙、李玉善、金福童、吉元玉、朴玉善、姜日出の、
主演・6人は、記者会見を行い、女・酷王さまのシナリオ通りの、
挺対狂が要求する慰安婦問題の解決を、各人が、声高く主張した。
日韓政府間で妥結した韓日合意には、「死んでも、地獄で、絶対に反対と喚くぞ」と。

「われわれは、日本が拠出する、穢いカネ10億円は、ビタ一文
受け取らないよ」と高らかに宣言した。
過去に、韓国政府が、日本の元慰安婦に対する賠償金を
100%横領して、韓国経済復興のため使った、国家横領罪のことは、
100%、まったく知らないと、無知を明確にした。
現在、117万人存在すると言われる韓国の正副慰安婦たちの
将来のための、国民募金運動には賛同すると。

日本大使館前に設置された慰安婦像は、韓国の国の宝を象徴する
国宝であり、韓国政府が撤去を求めることはできないと強調した。
6日の水曜集会に勝る反日キチガイの暑い熱気は、燃えに燃えていた。

24年間続き、元慰安婦たちを地面に座らせて喚かせる、
不法な「水曜集会」が、2016年1月6日に行われた。
この日の集会は、反日キチガイの凄まじい熱気で、火事よりも暑かった。

2016年1月13日には1213回目の集会が開かれた。
不可逆的にも、最終的にもならない、燃えさかる熱い熱い集会だった。
この熱い熱い集会は、1945年8月のように、「可逆的」に、日本が
完全崩壊して、韓国では、「可逆的」に、熱狂的に、李承晩が称えられ、
「可逆的」に、李王朝時代に戻り、「可逆的」に、北朝鮮のように、
悪魔の専制支配のもと、現・女・酷王・尹美香が大統領になり、
人民が総貧乏人になるまで続くようだ! マンセー ??? ・・・・・・・




歓迎、ヨウヘイさんのご子息・タロウさんが日本のガイムダイジンに!
ウソ300%の韓国製歴史を、日本の教科書に載せ、追加賠償金獲得へ!!






韓国各地と米国等に建立された慰安婦少女像は、
        全身これウソの塊
凄まじい製作者の憎日感情がひしひしと伝わってくる。

慰安婦たちのほとんど全員は成人女性であった。
少女は極めて稀であった。
韓国は成人女性慰安婦の方々は、ミナ、10台前半と国際PR。
これは国家的国際サギね!

服装は着物か洋服でチマチョゴリを着ているものはほとんどいなかった。
裸足は皆無であった。





あり得ない20万人強制連行!







101歳以降はジゴクでエンマと、「世界中に慰安婦像を」と、喚き続けるぞ!
「ホンダ」で日系と誤解されていますが、「真の随」から「芯が朝鮮人」です。

                 ホントウニ悪い奴だナ!




反日・韓国で急増する高齢者の貧困対策を

Korea News 2015.4.1

韓国保健福祉部が公表した「高齢者実態調査2014年度版」によると、
高齢者のうち子供と同居している割合は全体の28.4%である。
1994年の調査では54.7%であった。この20年の間にほぼ半分になった。
高齢者夫婦だけの世帯は44.5%、また一人暮らし世帯は23.5%だった。

高齢者が、子供と別居する割合は今後もさらに高まる。30-40年前は
韓国人全体の寿命が今ほど長くなかった。子供たちが親の面倒を見る期間も短かった。
しかし、今は、90歳、100歳まで生きる高齢者も珍しくない。子供たちは
親孝行をしたいと思っても、親が仕事をやめてから30年、あるいは40年に
わたり世話を続けるのは困難だ。社会的な高齢者保護システムが必要になった。

韓国における高齢者福祉システムは、先進諸国に比べて大きく後れている。
国連人口基金の2013年の、各国高齢者福祉実態調査報告書によると、
韓国は100点満点の39.9点で、調査対象91カ国の中で67番目だった。

韓国では、2014年7月に、基礎年金制度が導入された。65歳以上の高齢者のうち、
所得が下から70%までには、月10万-20万ウォン(約1万1000-2万2000円)
が支給される。しかし、生活に必要な最低額と比べ大きく不足だ。

国民年金や公務員年金を受給する高齢者は、全体の32%だ。

経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で、韓国が「高齢者の自殺率第1位」
「高齢者の貧困率第1位」と報じられたのはもうかなり前の話だ。

韓国社会を、ここまで発展させるのに大きく貢献してきたのは、今の高齢者世代だ。
余暇時間に主にやることを彼らに尋ねたところ、82.4%が「テレビの視聴」と。
高齢者は、行く所もやることもなく、公園や高齢者向けの集会所ばかりに集まる。

今の状況を放置してはならない。高齢者の時間の過ごし方や仕事の問題について、
高齢者が、大学でシニア向けのコースを履修し、楽器を演奏するなど、新たな
世界を知って知識を習得し、周囲と共に生活を楽しめるためには、高齢者が
学習や趣味に取り組むことのできるプログラムを提供すると共に、高齢者が
パートとして働ける機会を倍増させることが必要だ。

早朝から日が暮れるまで一日中働いても、老人たちが手にできる報酬は、
1日1万ウオン(約950円)にすぎない。

2013年7月24日付の韓国紙『ハンギョレ』の報道によれば、古紙や
廃品回収、古物の売買で生計を立てる人はおよそ
200万人いるという。

韓国・貧困問題研究所のソ・ビョンス氏が語る。
「彼らの中には80歳を超える老人もたくさんいる。ソウル市内は坂も多いので、
古紙を積んだキャリジを引っ張っていくのは老人には重労働だ。
でこぼこした狭い歩道を避けて車道を行き車にはねられる老人もいる」

2011年には83歳の女性が古紙を巡ってトラブルになった同業の老人を
突き飛ばし、死亡させる事件もあった。

こうした貧困老人の多くは、わずかな年金や国民基礎生活保障(生活保護)で
生活している。

所得のない単身生活者の生活保護費は月約49万ウォン
(約4万7000円)
である。
住宅の公的扶助はない。家賃・住宅費を含む生活費はすべて
この中から支出しなければならない。

一般的な単身生活者の可処分所得が80万5000ウォン
(約7万6000円)
であることを考えれば、生活保護費は月約49万ウォン
(約4万7000円)
ぎりぎりの生活である。

OECDの最新統計によると、韓国の65歳以上
貧困率は49.6%と加盟国
34か国中の中でも群を抜いて高い。日本の65歳以上貧困率は
19.4%である。

2011年の韓国の
高齢者自殺率は10万人当たり77.9人で反日活動が
活発になるにつれて、
1990年の5倍と、ここ20年間で激増した。

ソウル市の江南エリアの富裕層のコミュニティの端の九龍地区に貧困層が暮らす
バラック集落がある。1,200世帯、2,500人いる住人の大半は生活保護を受ける
70~80代の老人たちである。

錆びたトタンやポリカーボネート、さまざまな廃材、ビニールシートを組み合わせて
作られた小屋の内部は6~8畳ほどの広さで、天井高は2mに満たない。
水道と電気は使えるが、風呂はない。屋外にある共同トイレは汲み取り式で、
糞尿で汚染されている。集落にはわずかながら小さな子供を抱える世帯もある。
子供たちは
糞尿まみれの共同トイレの使用を嫌がり、公衆トイレや学校のトイレで
用を足している。集落の住人という理由で、差別やいじめに遭うこともある。







ソウルの中心部から車で約30分の永登浦地区には、低所得者向けの長屋が連なる
街区がある。建物のほとんどが築40~50年で著しく老朽化し、生活環境は劣悪
である。ある長屋で一人暮らしをする男性(72歳)の収入は、日雇いの仕事で得る
わずかな賃金と、年金や生活保護を合わせた60万ウォン(約5万7000円)である。





長屋の地下倉庫を改装した部屋に住む男性の身体は、厳しい冬の寒さに
蝕まれていた。「少しでも安い部屋を望んで地下を選んだ。
家賃は11万ウォン
(約1万円)。湿気がひどくカビ臭い。外が見えないから
その日の天気も分からない。オンドル(床暖房)が無いから冬の寒さは
かなりこたえる。

最も辛いのは糖尿病の悪化だ。今の収入では医療保険で賄える最低限の
治療しか受けることができない。医療保険の改善の兆しはない。
最近は病院に通う気力もなくなってきた。」

韓国では65歳以上の高齢者人口のおよそ20%に当たる
120万人がこうした
独居老人で孤独死が急増している。韓国政府は全国に30万人の
「孤独死危険者」がいると見積もっている。しかし、これは過小評価とする
専門家もいる。

独居老人は身寄りのない者が多い。死亡後に親族が見つかっても、
「葬儀代が出せない」と遺体の引き取りを拒否される。

韓国では伝統的に儒教思想による敬老と親孝行が重んじられてきた。
しかし、血縁者を弔う経済的余力すらないのが国を支える現役世代の
悲しい実情である。

失業している中年世代の悩みも深刻である。40~50代になると、
コンビニのアルバイト口すらない。ある男性は、「大学卒業後、
職を得られないまま、運転代行のアルバイトで食いつないできた。
就職浪人を続け、気づいたらこの年になっていた。いつも、
情けなくてヤケ安酒を毎日飲んでいる」と。

韓国では貧困と歪んだ社会構造が将来ある若者たちの芽を摘んでいる。

ホームレスに転落した者は、目先のカネ欲しさに国が発行する
『住民登録証』を30万~50万ウォン
(約2万8000~4万7000円)
犯罪組織に売り渡すこともある。登録証がなければ社会保障を受けることが
困難になるが、その日を生きるために背に腹は代えられないということである。

ホームレスに転落する者は後を絶たない。現在、ソウル駅周辺には

約9,000人のホームレス
がいる。心ない市民から暴言を浴び、
暴行を受けることも日常茶飯事である。寒さを凌こうとビルの地下駐車場に
侵入した50代男性が車にひかれ死亡する事故もあった。

ある女性ホームレスは、買い物中のスーパーで「臭い」と追い出されたことを
恨んで店に放火して逮捕された。

光熱費を払えず、床暖房を使うことができない高齢者

農村地帯の貧困はさらに深刻だ。近年、韓国では「エネルギー貧困」が
社会問題化している。2014年1月11日のKBS光州は、韓国・全羅南道の
農村地帯で「暖房費が捻出できない老人が多発している」と報じた。

ある87歳の高齢女性は部屋の中でも分厚い服を2重3重に着込んでいる。
屋外の気温は8.3度。室内でも息が白くなるほど寒いが、オンドルをつけようと
せず、電気も使おうとしない。この87歳の高齢女性は「光熱費を払うカネがない」
と話した。また別の85歳の高齢男性は「夜だけは気温が下がるので、仕方なく
オンドルをつける。1日中オンドルなど使っていたら、1か月の光熱費は30万ウォン
(約2万8000円)近くになってしまう」と話した。この85歳の高齢男性は光熱費
調達のため廃品回収のアルバイトをしていた。

韓国の冬はオンドルが欠かせない。都市部では都市ガスやLPガスを使用するため
燃料費を抑えられるが、農村地帯のオンドルは灯油を使用するのが一般的で、
燃料費がかさむ。この10年間で、韓国の灯油価格は平均60%も上昇した。
リットル当たりの価格は約1500ウォン
(約140円)で決して安くはない。

比較的安い電気料金も、この10年間で、同じく30%以上値上げされた。
従って、電気カーペットや電気ストーブなどの使用を控えざるを得ないという。

韓国統計庁の調査によると、米韓FTAが発効した2012年の農家戸別所得は
平均3100万ウォン
(約290万円)である。都市勤労者平均世帯の所得約
5300万ウォン
(約500万円)の60%を割った。

関税が引き下げられて、米国の安価な牛肉や農作物が流入してきたため、
韓国内の農業、畜産業は大打撃を受けた。肥料を買うカネにも事欠き、借金を
重ねる農家もある。不作になれば自転車操業が止まり、たちまち収入が断たれる。
生活費を稼ぐため都市部に出稼ぎする農家の嫁もいる。

全羅南道の過疎部では、生活保護を受ける住民が大腸菌などで汚染された
地下水を飲んでいる。同地域の上水道普及率は約90%である。
上水道が引かれていない世帯では井戸水を浄水器で濾過するか、
ミネラルウォーターを飲料水とする。

しかし、貧しい家庭ではそれができない。また、井戸水を煮沸する手間を
惜しむ人が多く、病原菌に侵された水を日常的に摂取している現状だ。

膨大なカネを愛国教育(反日洗脳教育)と国内・海外での果敢な反日宣伝に
注ぎ込んでいながら、社会保障政策を蔑ろにしてきた韓国歴代政権と
韓国教育界の罪は重いと言わざるをえない。

悲惨な非正規雇用者、子そだてがしにくい環境

韓国全体の非正規雇用比率は日本と同水準の
34%程度である。

正規雇用者の月平均賃金が
約22万円に対して、非正規雇用者の月平均
賃金はは
約10万円と半分以下である。さらに社員300人以上の大企業の
正規雇用者の月平均賃金は
約34万円で、大企業と中小企業間の賃金格差が
大きい。

韓国の社会保障は、到底、先進国とは言えないほど、極めて不十分である。
国民医療保険では低負担低給付の原則が貫かれ、患者が支払う自己負担額の
多さはOECD先進国中では最悪である。医療費に占める
自己負担額の比率
34%を占める。日本は16%だから日本の倍以上になっている。つまり、
医療をうける度に個人が直接窓口で払う医療費は日本の倍以上ということである。

1999年に国民皆年金化が実現したものの給付水準は低い。高齢者貧困率も高い。
OECD(経済協力開発機構)加盟国の平均13.5%に対し、
韓国の高齢者貧困率
その3倍以上の
48.6%。実に65歳以上のほぼ2人に1人が、可処分所得が
全体の中央値の5割以下という貧困状態に置かれている。

韓国では、一般的には定年は55歳である。しかし、実態は、希望退職やリストラ
が多く、
体感定年退職年齢は40歳代後半といわれている。

一方で、若年層の就職難や兵役のために、平均就職年齢は20歳代後半と遅い。
確実に稼げる期間は、わずか20~25年しかない。
30歳半ばで子どもを産むと、子どもが大学を卒業する前に親が失業するリスク
も高い。子育てがしにくい環境といわざるをえない。このため、出生率は
OECD先進国で最低の1.23人だ。

マンセー!定年延長法成立

労働者の定年を延長する「雇用上の年齢差別禁止および高齢者雇用促進法
改正法」が2013年4月30日、韓国国会で可決され成立した。改正法は、これまで
努力義務であった60歳以上の定年を、従業員300人以上の事業所は2016年から、
300人未満の事業所は2017年から義務化した。定年延長実施は2016年から
段階的に行われる。

また、定年延長に伴う企業の負担増に配慮し、労使は賃金体系改編等の
必要な措置を講じなければならないと規定した。

韓国では、政権が変わると、暴動を鎮圧した者が犯罪者として死刑宣告、
無期懲役宣告され、
暴動を起こして、建物に放火したり、公共施設を不法に
占拠したり、公共車両・
銃器を強奪して、火炎瓶を投げつけて鎮圧軍を
殺傷した者が
英雄なのです。


全斗煥元大統領は
反乱軍を鎮圧した罪で死刑判決を受けました。
念のため。全斗煥元大統領が反乱を起こしたのではないのですよ。

日本人には理解できないよな!

韓国教育界の絶大な支持を得ていた
文在寅の親分の
従北反日大統領・盧武鉉
極悪非道な殺人鬼・金日成の朝鮮戦争大量虐殺犯罪
極悪非道な殺人鬼・李承晩の自国民大量虐殺犯罪
韓国軍のベトナムにおける虐殺・強姦・放火・略奪についての
歴史認識をまったく行わなかった!



関連サイト:殺人鬼・金日成と殺人鬼・李承晩の朝鮮戦争犯罪