李承晩の犯罪を忘れるな  2015年8月
100万人以上虐殺の保導連盟ホロコースト(大量虐殺)


パブロ・ピカソ 1951年作 『(李承晩&金日成による)朝鮮の虐殺』 パリ・国立ピカソ美術館所蔵

反日洗脳が生んだ韓国愛国男
親日老人撲殺

-李承晩が始めた愛国教育(反日洗脳教育)が韓国国民から
  道義心と良識を奪った!


李承晩と金日成は、韓国をめちゃくちゃにぶっ壊した!
悪の権化・殺人鬼・李承晩政権の12年間、
韓国の
国民一人当たりGDPは100ドル以下の最貧国惨状!!

殺人鬼・李承晩の人殺し犯罪実績①

保導連盟ホロコースト(大量虐殺)

1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、
残忍・冷酷な殺人鬼・李承晩は、韓国軍と韓国警察に、
共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」
に登録されている者たちと収監中の政治犯たち合わせて100万人以上を大量虐殺した
保導連盟事件である。

「朝鮮戦争前後民間人虐殺真相糾明と名誉回復のための汎国民委員会」の研究では
60万人~120万人が虐殺されたとしている。

李承晩が失脚した1960年の四月革命直後に、全国血虐殺者遺族会が、
遺族たちの申告をもとに報告書を作成した。
その報告書は虐殺された人数は114万人であったと述べている。







関連サイト:殺人鬼・金日成と殺人鬼・李承晩の朝鮮戦争犯罪

関連サイト:犯罪軍事国家・北朝鮮の人権無視の実態

殺人鬼・李承晩の人殺し犯罪実績②
済州島・麗水ホロコースト(大量虐殺)

1948年4月、済州島で起こった島民の反政府蜂起を鎮圧するため、
残忍・冷酷な殺人鬼・李承晩は、韓国軍、韓国警察、右翼青年団に命じて
済州島島民の5人に1人にあたる6万人を虐殺した。

残忍・冷酷な殺人鬼・李承晩の命令で済州島の村々の70%が
焼き払われた。

英国のBBCは、この済州島事件のむごたらしい虐殺現場映像を放送して
残忍・冷酷な殺人鬼・李承晩を強く非難した。







1948年10月、済州島で起きた島民の反政府蜂起鎮圧のため
出動命令が下った全羅南道麗水郡駐屯の国防警備隊第14連隊の隊内で
南朝鮮労働党員が反乱を煽動した。この煽動に全隊員が応じて、
第14連隊全体の部隊ぐるみの反乱となった。これが麗水事件である。

李承晩は直ちに鎮圧部隊を投入した。1週間後に反乱は鎮圧された。

第14連隊の敗残兵、その後北部の山中へ逃げ込み、長く執拗にゲリラ
抵抗を行った。

残忍・冷酷な殺人鬼・李承晩は、麗水事件処理と称して、
反李承晩勢力の徹底的殲滅をおこなった。この徹底的殲滅は過酷を極めた。

反乱部隊兵士たちに加えて、「関係あり」との「でっちあげ」常習犯李承晩の
悪辣な人殺し常套手段で、非武装の民間人8,000人以上が殺害された。
身の危険を感じた、実に多くの者が、日本へ密航・国外逃亡した。


朝鮮戦争戦後の飢餓と失業
権力亡者・李承晩の悪政
朝鮮戦争以前、韓国は農業国であった。人口の約7割が農業で生計を立てていた。
それが朝鮮戦争で約40万世帯が農地を失うという悲惨な状態に陥った。

その結果、韓国は歴史上最悪の飢餓に陥った。

日本の植民地支配時代にも凶作による飢餓はあったが、朝鮮戦争後の
権力亡者・李承晩政権時代ほど長い期間にわたって、しかも
広範囲にわたって飢餓に苦しめられたことはない。

それは権力亡者・李承晩政権の悪政を、韓国国民が実感することであり、
国際社会に対して、韓国は文明国ではなく、実は野卑な民族社会であることを
強く印象づけた厳然たる歴史事実であった。

日本の植民地支配時代の1940年の農業生産に較べて、1954年~
1959年の農業生産は、驚く無かれ、僅か30%にまでも落ち込んでいた。

1959年の穀物収穫高は、日本の植民地支配時代最後の年にあたる
1944年の穀物収穫高の半分に過ぎなかった。

李承晩政権時代、毎年、韓国の農産物の生産量は、韓国国民の
絶対必要量に遙かに及ばず、韓国国民の食生活は悲惨な状態に陥った。

1957年3月、李承晩政権自身の発表によると、
飢えに苦しんでいた貧農=絶糧農家の数は350万世帯に達していた。

貧農は、麦の収穫直前期ごろ、文字通り、食料皆無となり、飢えに苦しんでいた
ので絶糧農家と呼ばれていたのである。

慶南、慶北両道の多くの地方では、農家の総数の60%以上が飢餓線上を
さまよっていた。

1957年2月の『韓国日報』は、「絶糧農家のほとんどがトウモロコシや
モヤシのかゆで命をつないでいる。やがては草根木皮をかじるほかはあるまい。
ネズミなどをとって食べなければならない状況だ」と報じた。

さらに韓国経済の停滞は、文字通り、膨大な失業者・半失業者を生み出した。
韓国の失業者数は、1954年3月には132万人を超えていた。
1958年8月には413万人と3倍増、1960年3月には、実に、
600万人以上が完全失業、または、半失業状態で街をさまよっていた。

当時の韓国の総人口2,300万人の住民のうち、
失業者・半失業者が600万人以上であったという厳然たる歴史事実は、
当時の韓国社会そのものが重病人状態であったことを意味している。

職場を確保した「幸せな人たち」も、1日に10時間から17時間の労働に
耐えて、僅かに飢餓賃金を得るのみであった。

失業者・半失業者家庭の少年たちは、乞食同様になって、米軍基地の周辺で
屑拾いとなり米兵の銃弾で射殺される者もいた。貞淑を美徳として来た
誇り高き韓国の女性たちで、生活苦から、【パンパン】に転落した者も
少なくなかった。

1956年-1957年の首都ソウルの悲惨な姿

250万人の人口を擁した当時のソウルーの大部分を占めている庶民の
唯一の楽園は、すべてを忘れて深い眠りにおちいる僅かな時だけだった。
愛する妻子と雁首を並べて夢をみる僅かな一とき、その時だけが
彼ら庶民の楽園だった。

権力亡者・李承晩政権の悪政時代は、
精いっぱい働いても、口に糊することさえ難しい時代だった。

首都・ソウルには真昼の暗黒地帯がいくらでもあった。

【パンパン】をめぐって繰りひろげられる西部劇さながらの世紀末的場面。
スリ、かっぱらい、強盗、……。
1956年度は、これらの犯罪件数は合わせて10万件以上であった。

張勉副大統領暗殺未遂事件、金昌竜中将暗殺事件、国際密輸団事件、等々、
血の雨を降らせた凶悪犯罪が絶え間なく起きた。

「凶悪犯罪には、必ず、国会議員、警察官、高級官吏どもが黒幕として
幽霊のように不気味に浮び上ってくる」、「首都・ソウルは、猟官の輩、悪徳商人、
殺人陰謀家の巣窟に変わった。酒池肉林で蠢く黒幕幽霊が韓国を動かしている?」
(『Korea's Hope』1957年3月号)。

政府予算の半分が国防費

これほどの重病人状態の韓国において、なおも北朝鮮との殺し合いを
続けるために、李承晩政権は、政府予算の半分以上を国防費に
注ぎ込んでいた。これは悲劇であり、同時に喜劇でもあった。

金三奎『東亜日報』元編輯局長は次のように述べた。

「韓国の経済は彪大な国防費のため、どん底に追いつめられていた。
1953年度、1954年度よりましだと言われる1955年度政府予算の
国防費は911億ウォンで、予算総額の54%であった。治安維持のための
内務部費は252億ウォンで予算総額の15%、この二つで予算総額の
69%を占める。復興部に回す金はない。

過大な税金で事業は成りたたず、動力不足で工場は動かず、
経済界は文字通り麻痺状態。

農村は、ほとんど、絶糧という惨状。230万人の完全失業者
200万人以上の結核患者。100万人の傷病兵。

悲惨な多数の病人

当時、韓国の国民は、一旦、悪質な病気に罹ったら完治の見込みはなかった。
従って、当時の韓国の死亡率は世界最高であったと言われている。

当時、韓国人医師の半分以上は、軍隊に編入されていた。

農村部では無医村が多かった。

都市の病院は富裕な者のみが利用できる、一般国民にとっては
【高嶺の花】施設であった。

病院に入院して治療を受けるためには、病人は、【保証金】という名の
賄賂を納めなければならなかった。

当時、一旦、伝染病が発生すると、たちまち、その地方一帯に蔓延し、
死亡者が続出した。

1960年の伝染病患者数は約800万人であった。
そのうち、約200万人が肺結核患者であった。

ライ病患者は20万人、性病患者は60万人であった。

さらに、1960年、乳幼児に小児麻痺が流行した。
その他の疾患と合わせて、当時の乳幼児の2割が病気で死亡した
と言われている。

同じ1960年には、成人間では水腫が流行した。

悲惨な戦争未亡人

朝鮮戦争で50万人以上が戦争未亡人になった。

1954年から1960年にかけて、毎年、1万人以上の赤ん坊が棄て児となった。
棄て児の第一の理由は、母親が育児能力が無かったことである。
朝鮮半島の長い歴史上、かってなかったことであった。

1954年から1960年にかけて、
韓国内では、40万人の女性が【パンパン】になっていたと言われる。
なんとも言いようのない悲惨な世相であった。

このような悲惨な世相にあって、一方では、富裕な韓国人男性の
妾の存在が広がっていた。富裕な男たちと不正の成金者たちは、
自由に、安く、哀れな女性たちを妾として買い入れていたのである。

悲惨な戦争孤児

1954年から1961年にかけて、学齢期に達した
100万人以上の子供が都市の街頭にうろついて食物をあさっていた。

学校に通学していた子供の中でも120万人以上が弁当なしであった。

家のない戦争孤児は50万人を超えていた。義務教育さえ受けられない
彼らの多くが、文盲として悲惨な運命を背負わされた。

多くの戦争孤児たちは、本能的に餌をあさりまわるので、
盗癖が身につき、やがて犯罪へ走りがちになる。

青少年の犯した犯罪数は、1949年には707件であつた。
それが1961年には、実に、12、306件と17倍以上になった。

殺人鬼・李承晩の人殺し犯罪実績③
でっちあげ罪つくり謀略は
李承晩の常套手段であった!


金日成とまったく同様、権力亡者・李承晩は、ライバル、及び近未来において
ライバルになりそうな人物を、情け容赦なく、ためらうことなく、どんどんぶっ殺した。

米軍軍政時代と李承晩政権時代、韓国社会のみならず、国際社会を驚かした
暗殺事件が、ほとんど絶え間なく、次から次へと起きた。

1945年12月、先ず、民主党委員長の宋鎮禹が暗殺された。
翌1946年11月、民主党政治部長の張徳秀が暗殺された。

宋鎮禹と張徳秀は、日本の早稲田大学に学び、朝鮮民族のために
貢献すべく努めてきた人物である。日本敗戦後、『東亜日報』で青年たちを
指導した。まさに、これから活躍しようという矢先になって、
権力亡者・殺人鬼の李承晩にぶっ殺されたのである。

さらに決定的な不幸事は、1947年7月の勤労人民党委員長の
呂運亨の暗殺であった。

韓国の場合、党委員長の暗殺は、その党の抹殺行為に等しい。
もっとも優れた指導者の一人であった呂運亨の暗殺は、朝鮮民族の悲劇と不幸を
意味した。

呂運亨は朝鮮の誇るべき独立運動家にして新生民族社会の指導者であった
といって過言ではないであろう。

呂運亨は1919年の上海臨時政府樹立に参加し、30代で朝鮮独立運動の
最高指導者の一人になった。3・1運動を契機に、上海で大韓臨時政府が
樹立されるや、当時の日本の原敬首相は、懐柔策として、上海臨時政府の
外交部長・呂運亨を東京へ招請して対談することになった。

東京へ現われた呂運亨は、懐柔されるどころか、日本帝都の朝鮮青年学生の
祖国独立精神を鼓舞して感銘を与えた。このことは日本朝野に旋風をまき起こした。

呂運亨の風貌は英国風の紳士を思わせるものであった。しかし、胸に烈しい
闘志を秘めていた。呂運亨の理論は20世紀の希望の星を思わせるものであった。

呂運亨に会った東大教授・吉野作造は、「私は支那とインドの革命家たちの
ほとんどに会ったが、理論と実践、雄弁とその堂々たる風格など、
呂運亨のような立派な人物は他にはいない」と語っている。

日本敗戦直後、阿部信行・朝鮮総督が【日本人の保護問題】などで
相談したの相手は呂運亨であった。
阿部信行・朝鮮総督は呂運亨を解放朝鮮の第一人者と目していた証左である。

権力亡者・李承晩は、自分よりも優れた人物を先頭に立てるのではなく、
その人物をぶっ殺して権力維持を図る、金日成とまったく同様の殺人鬼であった。

第二の決定的な不幸は、1949年6月の金九の暗殺であった。

金九は金日成、李承晩と同様、殺人鬼であったが、殺人動機は金日成、李承晩
とはまったく異なっていた。

金九は18歳にして東学党乱-民族改革運動に参加し、その後安重根の
伊藤博文公暗殺事件と寺内正毅朝鮮総督暗殺未遂事件に関連して投獄された。
服役中に脱走、上海の大韓臨時政府の幹部となった。かれは、日本の
要人暗殺に命をかけてきた。金九は、二重橋爆弾事件、桜田門投弾事件、
上海での白川義則陸軍大将暗殺事件などを指揮した。

昭和戦争末期、金九は重慶へ避難、大韓臨時政府の首席となった。
朝鮮独立運動の旗手として、当時の日本は、「テロリスト金九」として恐れ、
彼の首には莫大な懸賞金がかけられていた。

金九は、1945年11月に帰国した。信託統治反対、米ソ共同委員会
ボイコット、南朝鮮の単独選挙反対を声高く叫び続けた。

帰国後、金九は、一貫して、南北協商を主張し、米ソ両国軍の撤退を
要求し続けた。

金九に強いライバル意識を燃やし、強い脅威を感じた殺人鬼・李承晩は、
1949年6月26日、制服姿の安斗煕・陸軍少尉に金九を暗殺させた。
これは、紛れもなく、李承晩の人殺し犯罪である。

日本官憲に命を奪われなかった金九が、帰国後に、表面的には盟友と
見られてい李承晩に殺されたのである。

金九暗殺後の李承晩の悪行・悪業も凄まじい。

李承晩は、金九の韓独党解体を狙って、金九暗殺の罪を韓独党の内紛の
せいにして、同党の幹部たちを逮捕し投獄した。

暗殺犯人・安斗煕は、李承晩の大統領赦免権によって刑を免除され、
出所後は手厚く優遇され大佐にまで昇進した。

金九暗殺後の李承晩の韓独党解体政策によって、同党の趙碗九、厳恒燮、
金毅漢ら幹部たちは、徹底的に政治活動を妨げられた。彼らはやむなく、
朝鮮戦争時、北朝鮮へ行った。

金奎植を首領とする民族自主連盟も、趙素昂を党首とする社会党も、
韓独党と同じ運命を辿った。

朝鮮戦争勃発直前の5月選挙で野党の有力者、元世勲、尹埼燮、安在鴻、
呉夏英など多数が当選した。しかし、これらの野党有力者たちは、
李承晩にぶっ殺される危険を切実に感じて次々と韓国から姿を消していった。

1955年には、張勉の大統領運動に活動した反共青年団体である西北青年会の
金聖柱副委員長が虐殺された。

最近の韓国某紙によれば、名だたる韓国独立運動家であり、かつ政敵であった、
金九
(尹奉吉の親分)、曺奉岩、宋鎮禹、張徳秀、呂運亨、金聖柱たちを、
ことごとく、ぶっ殺し、あまつさえ、韓国国民百数十万人を虐殺した韓国初代

大統領・李承晩の「人殺し実績と反日実績を再評価して、李承晩を称える
切手が発行された。さらに、次は、中国の毛沢東(中国人民約8,000万人を
死亡させた)
に倣って、韓国紙幣に肖像を刷り込み、肖像画を南大門に掲げるか、
金日成の巨大銅像に負けない、巨大銅像を造って、反日崇拝対象にするとか?ウソー!




殺人鬼・李承晩の人殺し犯罪実績④
進歩党・党首・曺奉岩の電光石火の処刑
ソウル地裁判決懲役5年を覆した
高裁と最高裁の逆転死刑判決

李承晩の残忍な支配者ぶりを遺憾なく示したのは、
進歩党抹殺とその党首・曺奉岩の電光石火の死刑処分であった。

残忍な李承晩政権は【政府転覆罪】をでっちあげ、【スパイ容疑】をでっあげ、
ソウル地裁の懲役5年判決を、高裁、最高裁で覆させ、
あまっさえ、死刑執行の法的手続きを完全無視して、
電光石火の早業で、進歩党・党首・曺奉岩を法の名のもとでぶっ殺した(死刑執行した)

殺人鬼・李承晩は、自分に対抗しうる有力人物を抹殺するために、
先ず罪をでっちあげて、法の名のもとに葬っていた(ぶっ殺していた)

1956年の正副大統領選挙において、平和的南北統一を掲げた
進歩党候補の曺奉岩は圧倒的な支持を受けた。平和的南北統一と
政治改革を掲げた進歩党が大きく躍進進出したことに李承晩は大きな脅威を
感じた。将来の大統領選挙対策として曺奉岩抹殺を考えたのだ。

残忍・悪辣な李承晩は「進歩党スパイ事件」をでっちあげて同党抹殺を実行した。

かくて1958年1月10日、残忍・悪辣な李承晩政権はスパイ容疑で
進歩党幹部たち全員を一斉に逮捕した。

進歩党の政綱は国家保安法に違反するとの理由であった。

しかも残忍・悪辣な李承晩政権は、最高裁の判決を待たずに、公党である
進歩党を非合法化した。各地の進歩党組織を警察の手で強制封鎖した。

曺奉岩は1948年8月から1949年2月までの期間、
李承晩政権の初代農林部長官を務めた。1950年6月から
1954年5五月までの期間は国会副議長の地位にあった人物である。

1952年の第2回大統領選挙に立候補して75万票を得た。
1955年秋に進歩党を結成して党首となり、国連監視下の南北統一
選挙実施による平和的南北統一をスローガンにかかげて、
1956年の第3回大統領選挙に立候補して216万票を獲得していた。

権力亡者・殺人鬼の李承晩は、残忍な悪政をくり返しておりながらも、
大統領の地位は自分の専売特許のように思いあがっていた。

残忍・悪辣な李承晩時代、韓国では文字の憲法があっても、実質憲法がなかった。
残忍・悪辣な李承晩時代、韓国では文字の法律があっても、実質は無法国家であった。

2013年8月現在においても、
韓国の最高裁と高裁は、
国際協定を100%無視する判決
出し続けている。
現在でも、韓国は無法国家であると言わざるをえない。

殺人鬼・李承晩の人殺し犯罪実績⑤
今西柳林&居昌ホロコースト(大量虐殺)

1951年2月5日~7日、慶南山清郡今西面及び咸陽郡柳林面の二かヵ所で、
婦女子を含む約800名の村民が、権力亡者・殺人鬼の李承晩の政権によって
集団虐殺された。
老若男女約800人すべてを、共産分子とみなして、一か所に集めて、
全員を機関銃で虐殺した後、さらにガソリンをかけて焼き殺したという
韓国4000年の歴史においてかってなかった極悪非道な集団大量虐殺であった。

次いで3日後の1951年2月10日、慶尚南道居昌郡神院里という山間部落で
部落全員の老若男女517人が、韓国軍に協力しない共産分子であると断定され、
学校の校庭に集められてみな殺しにされた。集団大量虐殺の手口は、今西柳林
事件と同様であった。

あらゆる悪の要素を身につけていた
李承晩は悪の権化であった


韓国のあらゆる階層において、ぶっ殺されないまでも、権力亡者・殺人鬼の
李承晩の残忍無道さによって、社会から追われた人物は無数である。

政治イデオロギーのライバルにかぎらない。与党・自由党内の醜い争いは
日常茶飯事に繰り返されていた。

李承晩の体質からくる、謀略、陰謀、刺客送り等の悪行・悪業は醜悪を極めた。

反対党、あらゆる反対派への、でっちあげ罪つくり謀略は常套手段であった。

李承晩は悪の権化であった。あらゆる悪の要素を身につけていた。

1952年の朝鮮戦争のさなか、民衆が殺される同族同殺の時期でさえも、
李承晩は、むしろそれを好機ととらえ、警察官と暴力団員を動員して、
ライバル狩りに執念を燃やしたのである。

悪の権化の李承晩流の政治陰謀・ウソつき体質は韓国社会に浸透していった。

ウソつき体質が韓国社会の風潮になっていった。多くの市民たちが、
不道徳な面相をして、悪徳とインチキを身上とし、横暴にふるまい、
官尊民卑の気風に染まっていった。

ハッタリ、脅迫、ごまかし、狡猜さ、虚栄、我利我欲主義、賄賂強要、
不正・不義・不法の横行が、伝染病のように韓国社会に蔓延していった。

韓国社会で、詐術と欺隔と悪知慧が巧妙に発達したのは周知のことである。

その一方で、腐ったエサにありつくための、刺客への潜在的志向者がいかに
多いことか。廃嘘の巷の失業者群と、非生産社会のバクチ根性と密接な関係が
あった。そこは自然発生的な奴隷根性が生じて主体意識を喪う。
【出世】という名のエサを求めて、朝鮮民族の民族性も、真の愛国心も
忘却した烏合の衆と化したといって過言ではない。

多くの韓国国民が、マスコミの煽動に従って、大勢のおもむくままに猪突暴走し、
あるいは右顧左眄し、辻棲の合わないチグバグの足どりを取っている。

不正・不義・不法の塊であった
李承晩政権のインチキ選挙


過去の韓国の基本病源は【大統領選挙】の不正・不義・不法あると言っても過言ではない。

不正・不義・不法の知恵を搾って当選した【大統領】が良い政治指導者になるはずがない。

政治悪にも限度があり、政治悪を強いられる民衆側の忍耐にも限度がある。

李承晩政権時代、韓国国民は何度も騙され続けてきた。

典型的な歴史事実は、1960年3月の大統領選挙であった。

この年の大統領選挙は、文明国「韓国」は、実は野卑な民族社会であることを
世界に強く印象づけた。なぜか?

1960年3月の大統領選挙は、李承晩徒党による
「人間の知恵で考えられる限りの、ありとあらゆるインチキ選挙」だったからである。
一から十まで謀略とインチキから始まった。先ず、突如、「3月15日」を選挙日に
した。この年の大統領選挙は「五月」の予定であった。しかし、野党・民主党の
大統領候補・趙姻玉が、病気手術のために1月下旬に短期渡米した隙を狙って、
突如、「3月15日」を選挙日にしたのである。いうまでもなく、野党側の出馬を
阻止するためである。

李承晩政権は「5月は農繁期で農民の営農事業に支障をきたすから」との
口実を掲げた。ところが、野党・民主党の大統領候補・趙姻玉は、2月15日、
ワシントンのウォルター・リード米陸軍病院で謎めいた急死をとげた。

大統領立候補届出の締切り日は2月13日であった。

最大の野党・民主党は事実上、大統領選挙から締め出しをくった形となった。

そこで「反独裁民主守護連盟」の元首相・張沢相が大統領候補に立候補を試みた。

その元首相・張沢相が、2月13日、大統領選立候補届出手続きに出向く途中、
白昼の街頭で、公然と暴漢に襲われて、書類を暴漢に奪い取られた。立候補が
不可能になった。文明国の選挙に、このような奇怪な事があるだろうか。

その結果、無競争で李承晩の大統領4選が事前に確定した。

朝鮮戦争争勃発の際に、「民主主義を守るために、北の共産主義と戦う」と
米国に哀訴した李承晩の顔がそら恐ろしい。

         李承晩


そればかりではない。元首相・張沢相が立候補届出をする模様を取材するために、
2人のカメラマンが随行していたが、この2人のカメラマンが、突如、
警官の見ている前で、暴漢に暴行された。

この1960年3月の大統領選挙の今ひとつの大きな焦点は
副大統領であつた。

なぜならば、当年85歳の李承晩は老齢にあり、その死後は
自動的に副大統領が大統領に就任することになっていたからである。

李承晩一派は、前回の1956年5月の選挙では、
副大統領を野党候補の張勉に奪われたこともあって、
「李承晩一派で副大統領も絶対に確保する」ための謀略が、
内務部長官・崔仁圭と元内務部長官の張瞭根らによって編みだされた。

この副大統領確保謀略は、李承晩自由党の【選挙方法秘密指令】となって、
韓国全土の警察署、警察官派出所と、地方自治法改正で任命制となっていた
郡守、面長に徹底通達された。

さらにこの【選挙方法秘密指令】を確実に実行するために【選挙督察班】が
組織された。

ところが、この【選挙方法秘密指令】が選挙戦のさなかに、野党・民主党によって
暴露された。

韓国の有力紙『東亜日報』と『朝鮮日報』が【選挙方法秘密指令】の内容を報道した。
韓国全土が騒然となった。

【選挙方法秘密指令】は、「どうしても、大統領と副大統領は、
同一政党から選出されなければならない」と、くり返し繰り返し説明したあと、
次のような手順と方法を指示していた。

①事前投票で先ず4割の票を確保する。次に公開投票場では、3人組、9人組の
組長監視のもとに投票させ、書いた票を見せ合って確認する。これで4割を
押さえて、合計8割の票とする。
②公開投票場を警官と反共青年団で固めて投票者に精神的圧力をかける。
野党選挙委員を、10分間誘い出して、睡眠剤入り酒と水を飲ませて眠らせる。
③以上の第一次計画①②が失敗したときは、第二次計画として公開投票所内の
投票箱のすり替えをする。
④第二次計画の公開投票所内でのすり替えが失敗した場合は、開票所への
輸送途中、または開票所内で、投票箱をすり替える。

まさに、驚くべき内容であった。

これらは、李承晩一派が、過去の様々な選挙でやった
謀略とインチキ選挙の粋を集めたものであった。

『東亜日報』は、「これは人間の搾り出せる悪知恵の粋を集めたもの」と評した。

李承晩政権と、与党・自由党が、文書で、これほどの醜悪行為を指令した
くらいだから、李承晩政権と、与党・自由党の実際行動は、
不正・不義・不法の塊であったことは言うまでもない。

李承晩政権のテロ行為は投票日が近づくにつれて、血なまぐさい事件となって
頻発した。2月9日、麗水で野党系新聞の発行者が路上で暴漢に襲われた。
その後まもなく病院で死亡した。さらに、野党・民主党麗水支部の財務部長が数名の
暴漢に棍棒でなぐり殺された。

選挙当日、一部地区では、与党・自由党側の選挙干渉が激しいため、野党・民主党側は
選挙ボイコット、公開投票場立会人の引きあげ、選挙不承認宣言などをした。

野党・民主党の発表によると、警察官、私服刑事、自由党系暴力団員が、
仁川や全州などで、野党・民主党の立会人の公開投票場入りを妨害した。

全羅南道一帯では、午前7時の投票開始時間が、いつの間にか午前4時に
繰り上げられ、野党・民主党の立会人が午前7時前に公開投票揚に到着した時には、
既にほとんどの投票が終っていた。

これは、与党・自由党が、前夜中に有権者から投票用紙をかり集めて不正投票を
したからである。投票当日は、朝から警察官と暴力団員が、有権者を
公開投票所に狩り立てた。少しでも、反抗、もしくは批判めいた言動をみせたものは
情け容赦なく暴力をふるわれた。

釜山市では、公開投票所内で殺傷された有権者数が23名に達した。
この他にも公開投票所外で暴力団員に暴力をふるわれた者も少なくない。

脅迫、買収、その他の手段を使って棄権を強要する手も使われた。

たとえば、釜山市内の三つの洞だけでも棄権を強要された有権者の数は900名
以上であった。

最も悪辣なインチキ選挙が行われたのは馬山市であった。

選挙当日、馬山市では、李承晩を支持しない有権者に投票番号票を渡さず、
野党系の選挙立会人の立入りを阻んだ。公開投票所では、有権者の記入動作を裏から
監視し、記入した投票用紙を選挙管理委員長に見せよと強要した。馬山市では、
47の公開投票所中、野党・民主党が立会人を出すことができたのは僅か3か所
のみであった。公開投票場のほとんどが、警察官や暴力団員に包囲され、
与党・自由党の立会人だけで投票が行われた。

これに憤慨した大勢の馬山市民は、投票日の夕刻、開票本部に押しかけて投石し、
1人が死亡し、8人が重傷を負う騒ぎとなった。

李承晩の反日政治
大韓民国成立後、李承晩は政権批判をした者はすべて親日政治犯として、
投獄・拷問・処刑を行った。 2年間で親日政治犯として投獄された者の総数は
日本の植民地支配時代の35年間の投獄者数を超えた。
現在においても、親日論者は「反愛国者」として社会的に抹殺されている。
怖ろしいことである。日韓友好どころの話ではない。

Re:日本の朝鮮植民地支配が韓国を近代化した
  -兩班(やんばん)漢字文化から庶民ハングル文化へ

李承晩の歴史偽造
李承晩は朝鮮戦争時の記録を偽造した 。
北朝鮮の侵攻を受けた韓国が、あれほど混乱し、半島南端の釜山にまで
追いつめられるほどの醜態をさらしたのは、李承晩に危機対処能力が
まったくなかったことが大きな原因である。

極悪非道な金日成の北朝鮮軍の首都ソウル侵攻が始まるや、李承晩は、
避難民で大混乱状態の漢江の橋を、避難民を無視して、かまわずに爆破させた。
自分自身は米軍基地に逃げ込んだ。

マッカーサー元帥の国連軍の仁川上陸作戦成功で北朝鮮軍の掃討が成功しつつ
あるときは、国連軍としての規律を無視して、韓国軍部隊を勝手にソウルに
先行させた。韓国から北朝鮮への逆進攻が敢行されたのは、
マッカーサー元帥の意図というよりは、李承晩の権力欲による独断専行が大きい。

李承晩の反日政策・反日洗脳

李承晩は反日政策を強力に推進した。李承晩ラインを設定して日本漁船
328隻を拿捕した。善良な日本の漁船員3,929人を逮捕投獄した。
死傷者は44人にのぼる。善良な日本の漁船員を日韓交渉の人質としたのである。

李承晩は竹島は韓国領であると宣言、占拠した。日本文化を徹底的に禁止した。
親日派と目された韓国国民を徹底的に迫害した。

李承晩は日本の植民地支配時代、韓国にはおらず、ほとんどを海外で過ごしていたため、
日本や日本人というものを極めて偏った、観念的にしか理解していなかった。

李承晩が始めた反日洗脳教育は、その後、現在にいたるまで、韓国教育界によって
強力に実行されてきた。60年間以上にわたる反日洗脳の結果を払拭することは、
到底、できない。


この結果、しみついた傲慢な態度・行動が、世界各国の良識ある人々の顰蹙を
かうことは避けられない。

本当に、心から、未来志向を考えているならば、直ぐに、反日洗脳教育を止めることである。
しかし、「止める気はサラサラない」「止めることは、できるはずがない」というのが
日本国民の共通認識である。

国際条約と日本の誠実な謝罪と膨大な賠償金支払いと真摯な技術支援を無視する
韓国最高裁の判事たちを生んだのは李承晩が始めた反日洗脳教育であるといっても
過言ではないと思う。日本と韓国の間に横たわる問題のすべては李承晩時代に始まる。

諸悪の根源は李承晩が反日洗脳で植え付た
対日憎悪心恨み心による道義心良識麻痺

感謝貢献の精神を植え付けないで、愛国教育の名のもと、幼児段階から
反日洗脳教育で対日憎悪心の植え付けと恨み心の植え付けに狂奔してきた
韓国教育界と韓国マスコミの反日煽動姿勢が諸悪の根源である。

感謝貢献を忘れた対日憎悪心・対日恨み心は、容易に、対米憎悪心になる。
韓国が、今後、対日本のみならず、対米国で深刻な問題を起こすことは避けられない。

2013年8月時点で、既に、反日を生き甲斐としている朝鮮日報が、数字を挙げて
嘆いている通り、豊かな一流国家・韓国の売春婦輸出問題は、米国・オーストラリア・
カナダ等で問題になっている。反日洗脳教育で、幼児段階から、恨み・憎しみを
植え付け、道義心・良識を麻痺させてきた祟りである。

現在においても韓国社会に脈々と生き続ける
李承晩流ウソつき体質




上記、尹美香・韓国挺身隊問題対策協議会常任代表の日本政府非難の檄文は、
まさに、悪意に満ちた、ウソつき韓国を代表する文章である。

慰安婦は韓国の宝、韓国の国民的英雄?!





日本へ行くぞ!
怖いよう、怖ろしいよう、どうぞ、ミナサン
日本には来ないで!
お願い!お願いよ!
何十年か後に、補償問題が起こる!!


5月29日は悪の権化・李承晩が、韓国から逃亡した日

 日本敗戦の年、1945年10月、韓国にやってきた李承晩は、
 米軍の庇護のもと、1960年までの15年間に、暴君として、
 考えられるかぎりのありとあらゆる悪事を行い、韓国の国土を
 メチャクチャむにぶっ壊した。
 韓国国民を大量虐殺した。政敵の皆殺しを実行した。
 まさに、歴史に残る暴君としての専制政治を行った。

 特筆されることは、悪の権化・李承晩の大統領時代12年間は、
 国民一人当たりGDP100ドル以下の世界最貧国であった。
 失業者は巷に溢れ、売春買春は日常茶飯事化した。

 李承晩のあまりにもの暴虐政治にたまりかねた韓国国民は、
 1960年、民衆による李承晩打倒デモを起こした。

 またたくまに、韓国全土に広がった李承晩打倒デモは、
 李承晩の直接命令による、警察・軍の無差別鎮圧殺人によって、
 186人もの死者を出した。

 米国政府は呆れ果てて、駐韓米国大使のマカナギーに、
 李承晩辞任を強要させた。李承晩が大統領を辞任しなければ、
 米国は対韓経済援助を中止するとまで宣言した。

 米国に見放された李承晩は、「行政責任者の地位は去り、
 元首の地位だけにとどまる」と発言した。
 これがまた韓国国民の凄まじい怒りを引き起こした。

 パゴダ公園にあった李承晩の銅像が引き倒され、韓国国会は
 全会一致で、李承晩の大統領即時辞任を要求した。

 李承晩の息子は自殺した。殺されずにすんだ李承晩は、
 1960年5月29日、ひとり米国に逃亡した。そして、
 しぶとく90歳まで生き延びた。

 特筆すべきことは、韓国教育界は、この悪の権化・李承晩の
 徹底した社会的反日洗脳を、年々、より忠実の墨守し、
 現在の「反日慰安婦狂い」韓国を創り上げたことである。
 韓国歴史において、燦然と光り輝く李承晩の歴史捏造歪曲
 亡国貢献である。

1945年、日本敗戦直後の韓国の政治状況


1945年の日本敗戦によって日本の朝鮮半島植民地支配が終わった。

直ちに、朝鮮半島に政治的混乱が起こった。現在に至るも続く政党間・徒党間・
派閥間の凄まじい権力闘争である。

この時期の代表人物は、上海で臨時政府を率いた金九、米国で独立運動を
続けてきた李承晩、満州で抗日パルチザンとして活動していた金日成、
朝鮮左翼運動のリーダーだった呂運亨の4人である。

北度38度線を境に、北はソ連軍が、南は米国軍が占領して軍政を実施した。

北朝鮮はソ連に全面的な支援を受けた金日成が政権を握った。

南朝鮮は、李承晩が、金九と呂運亨を暗殺して大統領の座を手に入れた。

李承晩政権(1948年~1960年)-悪の権化の統治時代

李承晩は、朝鮮独立運動を行い、上海の大韓民国臨時政府の初代大統領を
務めただけの政治能力ゼロの殺人鬼・権力亡者であった。

李承晩は、30年余り、海外を流浪していたため、1910年代以後の日本の
朝鮮半島植民地支配の実態をまったく経験していない、知らない。
典型的な、空理空論を唱える、権力欲が異常に強かった自己中心発想の
人殺し政治家であった。

悪の権化であり、対日憎悪の権化でもあった李承晩は、竹島を不法占領した
極悪人であり、李承晩ラインなるものを唱え、日本漁船328隻を拿捕し、
日本人漁師3929人を拘禁し、内、44人をぶっ殺したことで、日本おいては、
韓国歴史上、最も極悪非道な対日犯罪実行者として広く知られている。

対日憎悪の権化・李承晩は、日本人は顔も見たくないという異常な日本憎悪感の
持ち主で、日韓交流どころか日本との対話の機会すら設けようとしなかった。

韓国内において日本文化・日本語等、日本に関するモノ・コトをすべて排除させた。
幼児段階からの凄まじい反日洗脳教育を始めたのも李承晩である。
李承晩の反日洗脳教育によって韓国においては親日=売国奴という意識が
社会の隅々にまで定着した。経済的には、国民一人当たりGDP100ドル以下の
最貧国であった。

第2次世界大戦の被害をまったく受けなかった韓国を、
李承晩は、メチャクチャにぶっ壊し、
国民を餓死寸前状況に追い込んだ。
李承晩は本当に悪いヤツであった。





朴正煕政権(1961年~1979年)
-朴正煕は瀕死の状態にあった韓国を、
日本を徹底的に活用することで蘇らせた
朴正煕は韓国歴史上特筆されるべき
偉い人であり、
かつ
悪い奴である-

不正・不義・不法の塊であった李承晩政権のインチキ選挙に耐えきれなくなった
学生を中心とする李承晩打倒市民のデモによって、1960年、悪の権化・
権力亡者・李承晩が失脚した。

李承晩失脚により新しく政権の座に就いたのは民主党の尹善大統領・
張勉首相であった。しかし、強力なリーダーシップ欠く民主党政権は、
低迷を続ける最貧国経済状態を改善できなかった。

1961年5月、朴正煕が軍事クーデターを起こして権力を掌握した。

朴正煕は、大邸師範学校を卒業後、小学校教員、満州軍官学校、日本陸軍
士官学校、満州国の将校を経験した人物で、誰よりも日本の植民地支配の
長所と短所を理解していた。

当時の韓国は極めて貧しい国だった。国民一人当たりGDPは100ドル以下、
第一次産業以外には産業らしい産業も存在していなかった。
輸出を行える製造業は皆無であった。

その極めて貧しい韓国が、経済構造を改革し、製造業を創りだし、
産業インフラを整えるためには膨大な資金と製造業を立ち上げる製造技術が
必要であった。

当時の韓国は、製造業を創りだし、産業インフラを整えるために、資金と技術の
両面で日本の援助を受けざるをえなかったのである。

対日憎悪感と権力欲のため日本との国交正常化を100%無視していた
李承晩とは違い、朴正煕は、積極的に日本との交渉を進め、
1965年に、賠償金という言葉は使わずに、経済協力という表現で、
日本から、日本の植民地支配、従軍慰安婦に対する補償、徴用工に対する
補償として、総額8億ドルもの、膨大な、実質的な賠償金を引き出すことに
大成功した。

同時に、最新の製鉄技術を中心に、ほとんどあらゆる製造業の分野において、
日本の最新技術の供与を受けることに大成功した。当時の新日本製鉄は
3,000人もの大製鉄技術者集団を 浦項総合製鉄所の現場に送り込んで
当時の世界銀行が「不可能」と断言した韓国製鉄業の立ち上げに全面協力
したのである。

韓国歴史上、特筆されるべき朴正煕の偉大な功績である。
【漢江の奇跡】は日本の資金援助・技術援助によって実現したのである。

しかしながら、李承晩の反日洗脳教育に深く毒されていた韓国内では、
朴正煕政権の対日政策が「屈辱外交」であると非難する激しいデモが起きた。

国交樹立に反対する声も多かった。朴正煕は反対を押し切って、日本からの
経済協力(資金援助・技術援助)を積極的に活用していった。

朴正煕は韓国の近代化を達成することを最優先課題としたためである。

朴正煕の判断が正しかったことは現在の韓国経済の繁栄が実証しているが、
李承晩以来の反日洗脳教育に骨の髄まで犯されている韓国国民は、
この厳然たる歴史事実を認めようとしない。

しかし、朴正煕はしたたかな人物であった。彼は日本の経済協力(資金援助・
技術援助)を積極的に活用する一方、李承晩の反日洗脳教育を強化していった。

朴正煕は、朝鮮民族意識を鼓吹する朝鮮民族主義的な教育と宣伝に注力した。

朝鮮民族の過去の歴史と先祖を偉大なる存在として描く
朝鮮民族主義的な教育中に「強烈な反日感情の刷り込み」が含まれるのは
必然的なことであった。

日本に勝つことを「正義」とし、日本に対し抵抗し続ける「我々」を
「英雄」として扱うのが、最もわかりやすく、かつ、最も効果があがる
方法であるからだ。

「英雄」の戦功、及び味方の正統性を強調する手段としてよく使われる方法が
二つある。

一つは敵を優れた能力の所有者と描写することである。

もう一つは敵を残酷で邪悪な存在として描写することである。

前者は「敵を倒した我々はもっと強く誇らしい」というイメージを植え付ける。
後者は「残酷で邪悪な敵を倒した我々は善良で正義である」というイメージを
植えつける。

豊臣秀吉の朝鮮侵略と太平洋戦争では、韓国は、日本を打ち負かすことは
できなかった。韓国が「我々はもっと強い」と主張するのには無理がある。

そこで韓国が採択したのは、第2の方法、すなわち、日本を限りなく残酷で
邪悪な存在として描写するということであった。


朴正煕の朝鮮民族主義的な教育は、目論見どおり、韓国社会に「韓国に対する
自尊心」を芽生えさせることに成功した。同時にこのことは、李承晩が
植え付けた「強い反日感情」を増幅させることにも成功した。

しかも悪辣な朴正煕政権は、この反日感情を「金大中拉致事件」及び
「文世光事件」で悪用するのである。

1973年、東京のど真ん中で起きた「金大中拉致事件」は日韓関係を
大きく悪化させた重大事件であった。

韓国の駐日大使館の外交官と韓国中央情報部(KCIA)が、日本に避難中の
金大中を、白昼、拉致したこの事件は、日本社会へ大きなショックを与えた。

この白昼の韓国政府の犯罪劇は日本国民に、韓国は独裁国家であるという
強烈な印象を与え、日本国内に反韓感情が高まる原因となった。

韓国内でも朴正煕政権批判の声が上がり、朴正煕政権は国内外のマスコミから
連日叩かれた。

そこで悪辣な朴正煕政権の邪悪な韓国中央情報部(KCIA)が始めたのが
韓国国民の反日感情を活用して、「金大中事件についての日本メディアの
報道は偏っている」との日本を非難する世論をでっちあげることであった。

邪悪な韓国中央情報部(KCIA)は、韓国の反日団体、右翼団体、在日韓国人団体に、
日本非難活動を積極的に行うよう指導した。

これは、まぎれもなく、韓国の「サカウラミ」であり、「逆ギレ」である。

自らの「過ち」を日本に対する「怒り」を煽り立てることで塗り潰そうとしたのである。

しかしながら、朴正煕政権は窮地に追い込まれる一方であった。

ここに朴正煕政権の立場が一気に逆転する大事件が起きる。

金大中拉致事件から1年後の1974年に起きた
「文世光・朴大統領夫人殺害事件」である。

1974年8月15日、韓国政府の記念式場で、在日朝鮮人の文世光が
朴正煕大統領を狙って撃った銃弾が、隣にいた陸英修大統領夫人に当たり、
陸英修大統領夫人が死亡した。

在日朝鮮人の文世光が韓国へ渡り起こしたこの事件は民族内の
問題ではないかと思われるかもしれない。

問題は、殺害に使われた拳銃が日本の警察署で紛失したものであった点、
そして韓国政府が発表した共犯の中に日本人夫婦が含まれていた点である。

共犯として名前が挙がった日本人夫婦は犯人の知人ではあったものの、
韓国へは入国すらしておらず、事実無根と関連性を否定した。

にもかかわらず、何の証拠も関連性も立証されないまま、
悪辣な朴正煕政権のでっちあげ悪宣伝によって、韓国社会には
「国母・陸英修大統領夫人殺害のの共犯者が日本人」という認識だけが広がった。

朴正煕政権批判という韓国社会の怒りは、巧みに、日本への怒りにへと
すり替えられたのである。

その日本への怒りは日本商品不買運動といった反日運動にまで発展した。

悪辣、かつ狡猾な韓国中央情報部(KCIA)の謀略の勝利であった。

朴正煕政権は言論、出版の自由を厳しく制限していた。
朴正煕政権は国民感情を思い通りにコントロールしていた。

朴正煕政権は政局運営において李承晩が植え付けた、反日感情
増幅させて利用し始めた悪辣な政権であった。

盧武鉉(ノムヒョン)政権(2003年~2008年)
-反日政策数歩前進
北朝鮮に対しては史上最大の援助

反日を強力に推進した盧武鉉李明博

盧武鉉は就任1年後の2004年7月21日、「在任期間中、日本に対して
過去の歴史問題について言及しない」と宣言した。

道義心と良識を欠く盧武鉉は、翌年の2005年3月31日の
「3.1韓国独立運動記念式典」で、演説時間の70%を使って
異例な対日攻撃演説を行った。

盧武鉉は、自らの宣言と演説で、自分がいかに不誠実なデタラメ極まる
人間かを実証したわけである。

盧武鉉を敵対視していた保守野党のハンナラ党は、盧武鉱の宣言100%無視を
問題視するどころか、大歓迎の声明を出した。

盧武鉉が言うことなら、何でも噛み付き、揚げ足を取っていた、
平素のハンナラ党の態度とは全く反対の大歓迎の声明であった。

日本という共通の敵に対する
韓国の政党の本質を示した現象であった。


では、なぜ、「3.1韓国独立運動記念式典」で「異例な対日攻撃演説」を行ったのか。

盧武鉉の演説で注目すべき点は「時期」である。

当時、盧武鉉は相次ぐ失言騒動、それに混乱が続く国内状況のために
急速に支持率が下がっていた。

加えて、盧武鉉が「異例な対日攻撃演説」を行ったのは、大規模な補欠選挙が
1か月後に行われる時期であった。

米国の雑誌『TIME(アジア版)』は2005年4月18日号で
「重要な選挙を前にして、国内での人気回復のため反日感情を利用し、
民族主義を刺激した」と冷たい評価を下した。

さらに盧武鉉は、反日政策を数歩前進させる画期的な犯罪を行った。

それは「過去を審判する」という美名の下で行われた「親日派処断政策」である。

2005年、日本敗戦後、既に半世紀が過ぎ、日本の朝鮮半島植民地支配を
記憶している人たちの数も少ないこの時期になって、盧武鉉
「親日派から相続した財産は国家に帰属すべきだ」という内容の
「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」を正式に制定した。

韓国が独立して60年以上経った2005年に、いきなり、日本の朝鮮半島
植民地支配時代の、高級官僚、軍人、協力者、もしくはその子孫が所有している
財産を韓国政府が没収することが可能になったのである。

そして、これを契機に、韓国内では再び「親日派論争」が起きた。

「親日派の子孫たち」は違法性を訴えたが、韓国の最高裁は
「親日派の財産没収は民族精気の回復と独立運動の精神が含まれている
韓国憲法の理念を見る限り合法」という判決を下した。

この最高裁の判決を多くの韓国人は歓迎した。

恣意的な「国民の合意」の前では、「事後法の禁止」、「遡及処罰の禁止」
といった基本的な憲法の規定は何の意味も持たないという極めて危険な
判決であった。

韓国は、文字の憲法はあるが、実質的な憲法は存在しない無法国家
あることを、最高裁が、堂々と、国際社会に発信したのである。



盧武鉉の
反日政策実行
国際平和を脅かす犯罪行為
盧武鉉前大統領
5年間(2003年~2008年)の
任期中、それまでだれもやらなかった反日政策を実行して、
日韓友好関係を徹底的にぶち壊し、国際平和を脅かした。


対日憎悪感の権化江沢民前中国国家主席と並ぶ韓国における
対日憎悪感の権化が盧武鉉(ノ・ムヒョン)前韓国大統領である。

盧武鉉は反日洗脳教育を強力に推進してきた韓国教育界の
熱烈な支持を得て大統領に選ばれた。
盧武鉉は韓国国策反日洗脳教育から
反日政策実行へと大きく変えていった。

10以上の反日特別法を成立させた。韓国は、日韓請求権・経済協力協定や、政府開発援助で
日本に膨大な賠償金を支払わせたが、これでは、強欲な反日韓国国民は満足しないと、
改めて日本の植民地支配や、元従軍慰安婦、元徴用工に対する日本の責任の追及、補償を行う
ための過去史基本法を成立させた。

2005年3月、盧武鉉は、3・1独立運動の記念式典演説で、それまでの日本の誠実な謝罪、
膨大な賠償金支払い、真摯な技術援助を100%無視して、日本は、永久に、繰り返し、繰り返し
植民地支配への謝罪を行わなければならないと演説した。

今までの膨大な賠償金支払いでは、強欲な反日韓国国民は満足しないから、もっともっと
賠償金を払えと演説した。盧武鉉は、この演説目的を達成するために、韓国マスコミと韓国教育界を
煽り、反日デモを激化させ、韓国国民の反日感情を増幅させることに狂奔した。

盧武鉉は、2005年8月18日、いわゆる親日派韓国国民の財産を没収するための
政府機構・親日反民族行為者財産調査委員会
を本格発足させた。

さらに盧武鉉は、日本統治時代のいわゆる「親日派」の子孫を排斥弾圧する
法律「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び
親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」
を施行した。

盧武鉉の、これらの法律は、明らかに法の不遡及の原則に反し、明確な韓国憲法違反である。

対日報復の鬼であり、対日憎悪感の権化であった李承晩は徹底した反日洗脳教育を行ったが、
北朝鮮の金日成の戦争犯罪によって徹底的に破壊された
韓国の国土を復興させ、韓国を前近代的農業国から近代的工業国へと変身させる
ことに大きく貢献した朴正煕元大統領、全斗煥元大統領、金泳三元大統領などは
李承晩や盧武鉉のような、異常な対日憎悪感は持っていなかった。

2006年3月20日、盧武鉉は全斗煥元大統領ら170人の叙勲を取り消した。

2006年4月21日付のワシントンポスト紙は、盧武鉉政権が日本の海上保安庁の竹島周辺海域
海洋調査を阻止するために島根県内の防衛庁施設に対する軍事攻撃を検討していたと報じた。

もし、仮に、万一、盧武鉉政権による島根県への軍事攻撃が行なわれたならば、
韓国は、国際的に非難され、国際社会における信用失墜、及び経済制裁を受けたかもしれない。
韓国国内からも、盧武鉉の無謀極まる反日独断に強い憂慮の声があがった。
盧武鉉反日政策実行は、
国際平和をぶち壊す犯罪行為
であり、
本当に悪い奴であった


2006年4月の緊迫した日韓関係について、
米国大使は「韓国はirrationally Crazyと。
筆者は、竹島問題の解決は、日本が韓国の竹島領有を公式に承認する以外に
あり得ないと思う。

石橋湛山元首相の「一切を棄てる覚悟」が必要である。

盧武鉉の
反日政策実行
国際平和を脅かす犯罪行為
盧武鉉前大統領
5年間(2003年~2008年)の
任期中、それまでだれもやらなかった反日政策を実行して、
日韓友好関係を徹底的にぶち壊し、国際平和を脅かした。


対日憎悪感の権化江沢民前中国国家主席と並ぶ韓国における
対日憎悪感の権化が盧武鉉(ノ・ムヒョン)前韓国大統領である。

盧武鉉は反日洗脳教育を強力に推進してきた韓国教育界の
熱烈な支持を得て大統領に選ばれた。

盧武鉉は
韓国国策
反日洗脳教育から
反日政策実行へと
大きく変えていった。


10以上の反日特別法を成立させた。韓国は、日韓請求権・経済協力協定や、
政府開発援助で日本に膨大な賠償金を支払わせたが、これでは、
強欲な反日韓国国民は満足しないと、改めて日本の植民地支配や、
元従軍慰安婦、元徴用工に対する日本の責任の追及、補償を行うための
過去史基本法を成立させた。

2005年3月、盧武鉉は、3・1独立運動の記念式典演説で、
それまでの日本の誠実な謝罪、膨大な賠償金支払い、真摯な技術援助を
100%無視して、

日本は、永久に、繰り返し、繰り返し植民地支配への謝罪を行わなければ
ならないと演説した。

今までの膨大な賠償金支払いでは、
強欲な反日韓国国民は満足しないから、もっともっと賠償金を払えと演説した。

盧武鉉は、この演説目的を達成するために、韓国マスコミと韓国教育界を煽り、
反日デモを激化させ、韓国国民の反日感情を増幅させることに狂奔した。

盧武鉉は、2005年8月18日、いわゆる親日派韓国国民の財産を没収するための
政府機構・親日反民族行為者財産調査委員会
を本格発足させた。

さらに盧武鉉は、日本統治時代のいわゆる「親日派」の子孫を排斥弾圧する
法律「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び
親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」
を施行した。

盧武鉉の、これらの法律は、明らかに法の不遡及の原則に反し、
明確な韓国憲法違反
である。


対日報復の鬼であり、対日憎悪感の権化であった李承晩は
徹底した反日洗脳教育を行ったが、
北朝鮮の金日成の戦争犯罪によって徹底的に破壊された
韓国の国土を復興させ、
韓国を前近代的農業国から近代的工業国へと変身させる
ことに大きく貢献した朴正煕元大統領、全斗煥元大統領、金泳三元大統領などは
李承晩や盧武鉉のような、異常な対日憎悪感は持っていなかった。

2006年3月20日、盧武鉉は全斗煥元大統領ら170人の叙勲を取り消した。

2006年4月21日付のワシントンポスト紙は、盧武鉉政権が日本の海上保安庁の
竹島周辺海域海洋調査を阻止するために島根県内の防衛庁施設に対する
軍事攻撃を検討していたと報じた。

もし、仮に、万一、盧武鉉政権による島根県への軍事攻撃が行なわれたならば、
韓国は、国際的に非難され、国際社会における信用失墜、及び経済制裁を
受けたかもしれない。韓国国内からも、盧武鉉の無謀極まる反日独断に
強い憂慮の声があがった。

盧武鉉反日政策実行は、
国際平和をぶち壊す犯罪行為
であり、
本当に悪い奴であったとつくづく思う。

2006年4月の緊迫した日韓関係について、
米国大使は「韓国はirrationally Crazyと。


李明博政権(2008年~2013年)-やはり最後は「反日」

李明博は1964年、日韓国交正常化に反対する反日デモ活動を主導し、
逮捕された経歴がある。

李明博は当選直後の式典演説の度に、「日本へ謝罪を求めることは止める」と
表明した。それは彼の未来志向の友好、協力関係を目指すという決意表明であった。

李明博政権は、3年目まで40~50%の高い支持率を誇っていた。

4年目、親族の不正事件関与などが報道され、支持率が30%にまで下がると
決意を変えて「反日力ード」を持ち出した。

2012年7月、李明博の実兄が金融機関からの違法金銭授受容疑で逮捕された。

李明博の支持率は、大統領就任後最低の17%にまで大きく落ち込んだ。
12月の大統領選挙を控えて、与党と大統領としては危機的な状況に陥った。

焦った李明博が打った手が、2012年8月10日の韓国大統領としては
初めての竹島訪問である。

韓国国民は、こぞってこの李明博の怪挙を大きく賞賛した。

大統領が竹島を訪問することは、反日感情の強い韓国国民を喜ばせる
ことにはなるかもしれないが、日本国民をあまりにも強く刺激する行動であり、
歴代大統領も竹島訪問だけはしなかった。

李明博の竹島訪問が日韓関係にもたらす
悪影響はあまりにも大きい。


ここで興味深い点は、反日感情でいうと、韓国内のどの団体、誰よりも
強いはずの韓国左派と野党が、李明博の竹島訪問歓迎の意思をほとんど
表明しなかったという事実である。

『韓国が反日国家である本当の理由』は以上

朴槿恵習近平は、「歴史認識、歴史認識」と喚きたて相互嫌悪感、
相互憎悪感を煽りたてている。

英国のエコノミスト誌2009年10月10日号は、
「中国の学校は歴史教育において平気でウソを教えている。
歴史事実とねつ造した歴史をごちゃ混ぜにして教えている。
生徒が歴史事実と称するねつ造した歴史について質問することを禁じている」と
明確に指摘している。

韓国の学校教育とマスコミ報道も同様である。

School textbooks in China have a habit of bending the truth,
to suit Communist Party dogma or to reinforce moral messages.

In Chinese schools, the dividing line between historical fiction
and history can easily be confused.

Children are often not taught to make a distinction.


関連サイト:毛沢東の犯罪を忘れるな!

 4,000年の歴史を通して、中国は、朝鮮半島にとって、大事な大事な国です。日本は?
 米国は? 反日感情のみならず、根強い反米感情が脈々と生き続けています。 
 朝鮮戦争はなかった!?  中国は先祖の主人です。中国は先祖の仇ではありませんよ!
 主人国・中国が可愛がっている凶暴悪逆な北朝鮮は兄国ですよ!!!???



朴槿恵政権(2013年~)-スタートから反日感情を煽動

道義心と良識を欠く朴槿恵のウソつき演説

従軍慰安婦問題についての日本の誠意ある謝罪の繰り返しを100%無視し、
日本が支払った従軍慰安婦に対する厖大な補償金を韓国政府が横領しておきながら、
従軍慰安婦問題について、日本政府の誠意ある措置・行動を求めると主張し、
国際協定を100%無視する韓国最高裁・高裁の判決についてなんらの措置を取らず、
韓国国民と国際社会を騙し煽り続ける
従中反日大統領・朴槿恵の度重なる演説に反発する

日本国民の韓国不信感・韓国嫌悪感
日本敗戦後最悪の状況にある。





反日闘争のわが偉大な戦友、習さん、ありがとう!ご恩は、生きてるうちは、忘れませんょよ!!


北朝鮮の強制収容所この世の地獄

幸運にも、中国や韓国に逃げ込んできた脱北者たちが語るところによれば、
北朝鮮の国民の虐待・虐殺は、まさに【この世の地獄】といえる状況にある。

北朝鮮の【この世の地獄】は国民の虐待・虐殺だけではない。最近、幸運にも
入手できたいくつかの写真を見ると国民の生活は
「このままでは、みんな死ぬしかない」ほどのひどい状況になっている。

特に北部地域の土地がやせている小さな町村の状況がひどい。

元山市近郊の町村では、住民の70%が、草をまぜたコーンスープだけで
生き延びている。江原道の山岳地帯の住民は、数十万人規模の餓死者を出した
【苦難の行軍】以来の深刻な食糧難の再来恐怖に震えている。

北朝鮮の最新武器開発政策、すなわち、核、ミサイル、ヘリ、戦車の開発に
全力投球する強盛大国づくりのための【150日の戦い】キャンペーンが
農村の食糧生産計画を台無しにしたのだ。毛沢東の無謀な【大躍進政策】
と同じで、「このままでは、みんな死ぬしかない」状況という。

平安南道では住民が食糧泥棒を防ぐためにパトロール隊を組織している。
ある住民は、トウモロコシを盗もうとする3人の北朝鮮軍兵士たちに
立ち向かった。警官が到着すると、北朝鮮軍兵士たちは警官も攻撃した。

清津市では、過去16か月間、550人の工事現場の労働者たちに
食べ物を支給することができなかった。欠勤率は30%超えている。
そのため、警官隊が出動して家々を回り、労働者を狩り出している。

咸鏡南道では燃料不足で重機を操作できなくなった。住民たちは素手で
巨大な岩を動かさなければならなかった。

専門家は【苦難の行軍】時のような飢餓が起きるとは言っていない。
しかし、多数の国民が苦しんでいる。食糧の国家配給制は完全に崩壊状態である。
多数の国民が闇市場と物々交換でなんとか飢餓をしのいでいる。
闇市場が国民が必要とするカロリーの半分を供給している。

闇市場が国民の餓死を救っているのだが、2005年以降、北朝鮮政府は
闇市場の取り締まりを始めた。

今月、ハワイの東西文化センターで、ステファン・ハガードとマーカス・
ノーランドは画期的な北朝鮮の調査報告書を発表した。

この報告書によると、闇市で商売した者、闇市で盗みをした者、さらに
食糧を探して国内をさまよう者は犯罪者であるとして強制収容所に送り込んで
いると述べている。

このような犯罪者たちとはまったく異なって、独裁者・金正日に対して
反逆したと勝手に決め付けられて強制収容所に送り込まれてくるのが
政治犯たちである。

北朝鮮政府は、国民を、独裁者・金正日に対する忠誠心に応じてランク付け
している。北朝鮮の国民の半分程度が【揺れ動く層】といわれる。

約20万人といわれる政治犯たちは、十数か所の巨大な強制収容所に
収容されている。その大多数は生きて強制収容所を出られることはないと
いわれている。

奇跡的に強制収容所脱走に成功した人の誰もが多数の餓死者を目撃している。
75%が死刑執行を目撃している。50%以上が拷問や殴打による虐殺を目撃している。

北朝鮮秘密警察・国家保衛部が金正日独裁政権を維持するために、
罪のない人たちを、恣意的に逮捕・強制収容することは日常茶飯事である。

北朝鮮秘密警察・国家保衛部が恣意的に逮捕・強制収容するシステムは、
北朝鮮秘密警察・国家保衛部の部員たちの、たかりの手段としても多用されている。
すなわち、闇市場で商売している住民たちは、恣意的な逮捕を免れるために
彼らに賄賂を差し出している。

1995年~1997年
3年間の餓死者数は約350万人





               




筆者の意見:
韓国の一流紙といわれる中央日報と朝鮮日報が、【社説】で、臆面もなく、1965年の
日韓基本条約と共に締結された日韓請求権・経済協力協定で、元従軍慰安婦たちに対する
補償金を含む8億ドルもの膨大な賠償金(当時の筆者の月給は2万円、1ドル360円)を、
韓国政府が、日本政府から受け取っている事実と、韓国の製造業の全分野にわたる
日本の真摯な技術援助の事実と、その後の
6,700億円膨大な経済協力金と称する
追加賠償金支払いの事実と、元従軍慰安婦たちに対する日本の歴代の首相全員の
誠実な謝罪の事実を、全面的に、かつ、
意図的に無視して、
韓国国民を騙し続け、
国際社会を徹底的に騙そうとする
社説を掲げるものだと呆れ返っている。

中央日報と朝鮮日報が、従軍慰安婦問題に関する虚偽報道を止めて、
事実を正確に報道していれば、日韓友好関係を徹底的にぶち壊し、国際平和を
脅かすような深刻な事態は起こらなかったはずである。


 決議内容:
 決議は、慰安婦問題を「人類の普遍的価値に反する犯罪行為」と主張、
 日本政府に対して歴史的責任を受け入れ、今後は正しい歴史教育を行い、
 間違った歴史を繰り返さないようにすべきと要求した。

 決議案はさらに、韓国政府は要求を実現するために日本政府との協議、
 国際社会への問題提起などの外交努力を果たすべきとし、一部の議員は
 「慰安婦被害者」という名称を、「性奴隷被害者」という名称に変えるよう提案。

 ちなみに、この決議に同調して、170人を超える韓国人弁護士や学者が共同で
 「日本には良心のかけらもないのか」と非難する声明を発表した。

臆面もなく、平気で、ウソをつき、韓国国民と国際社会を騙す、韓国人弁護士や学者に
対して、
あなた達こそ「良心のかけらもないのか」と強く非難したい。

李承晩の日本亡命打診説:KBS(韓国放送公社)
Korea Report 2015.7.5

朝鮮戦争65周年の前日、2015年6月24日夜、
『KBS(韓国放送公社)ニュース9』は、日本特派員が最初に確認したとして
「李承晩は、朝鮮戦争発生直後、日本亡命を打診」という、
とんでもないニュースを放送した。

山口県の図書館で発見された文書によると、日本外務省が、「李承晩が
600万人規模の韓国人亡命を打診してきた」として、山口県知事に、
「受け入れ可能かどうか聞いた」というものだ。

しかし、この李承晩の日本亡命打診説は、日本極右の産経新聞が、既に、
1996年4月14日に、全く同じ内容で報道している。その翌日、
韓国メディアも、引用・報道している。

問題の文書というのは、当時、山口県知事を務めた田中竜夫氏の回顧談だけだ。

国内外には、李承晩に対し、敵対的・批判的な学者が数多い。しかし、過去
20年間、この李承晩の日本亡命打診説は、荒唐無稽として、まったく、検証
されていない。

KBS放送は、20年後の今になって、何の追加取材も検証もなしに、
この荒唐無稽な、「李承晩が、本当に、当時の日本政府に600万人の亡命を
打診し、日本は、韓国人難民キャンプの計画を立てたという内容の日本側文書を、
KBS放送取材陣が初めて確認しました」と放送したのだ。

権威あるはずの、KBS(韓国放送公社)の李承晩の日本亡命打診説放送を
幾つかの、韓国メディアはそのまま引用・報道した。イ・ジェミョン城南市長は
簡易投稿サイト「ツイッター」に「李承晩は親日政権だったから、日本に逃げる
と考えたことは、至極当然のことよ」と書き込んだ。この荒唐無稽なKBSの報道の
せいで、今、韓国で、インターネットで、「李承晩」と入力すると、
「李承晩 日本亡命」という検索候補がトップに出る。荒唐無稽な新しいうわさが
膨らんでいる。

李承晩は、朝鮮戦争のさなか、1952年1月18日、まさに歴史的な、

「李承晩ライン」を宣言して、毒島(日本名:竹島)は、「韓国のものよ」と
高らかに唄いあげ、その後、「李承晩ライン」を侵犯したとして、実に多数の
日本漁船を拿捕して、実に多数の日本人漁船を捕虜にして、対日憎悪に燃える
多数の良心不在の韓国人の大喝采を浴びた。現在にいたるも、圧倒的大多数の
日本国民が李承晩を憎んでいる。

KBSの荒唐無稽の報道があった2日前の、2015年6月22日、
朝日新聞は、「韓国人と言えば誰を思い浮かべるか」というアンケート調査の結果を
発表した。李承晩は、女優チェ・ジウに続き6位だった。
共に7位だった、東方神起や朴正煕よりも上だ。約60年前の
李承晩の反日憎日政策は、日本人の脳裏に深く刻まれている。
以上

Re:
良心(良識と道義心)喪失の中韓の指導者たち

Re:
慰安婦は韓国の国の宝 

Re:
韓国軍がベトナムで行った
虐殺、強姦、放火、略奪


Re:
犯罪軍事国家・北朝鮮の
人権無視の実態


Re:
偽証天国・韓国

Re:
韓国貧困層の生活実態
先進国中最高の高齢者貧困率


Re:
韓国の日本非難・誹謗(ひぼう)


Re:
光州事件-当時の新聞報道を見る

Re:
The alleged massacre (Atrocities)
committed by the South Korean
infantry unit