昔、九条では多くの京野菜が作られていました。ねぎ麻呂の住んでいた西九条もかつては九条ネギ畑がたくさんあり、
母は近所のネギ畑で働いているお百姓さんを見つけてはネギを直接買うというほのぼのした光景がありました。
今は畑が少なくなった九条で盛んに作られていた京野菜を調べましたので、紹介します。
ねぎは、ユリ科ネギ属の宿根草で全国で約140種ある中、主に関東で育てられ、土寄せによる軟白栽培をする「ネブカネギ」系統と 軟白栽培しない青ネギ系があり、九条ネギは青ねぎ系に属する。
九条ネギの歴史は古く、和銅4年(711年)稲荷神社の建立時にネギを栽培し始め、原種は浪速(大阪市)より来たものであるらしい。
承和5年(838年)の「続日本後記」には水ネギとして九条村あたりに栽培されていたという記録がある。 が、なぜ九条付近が栽培の中心に成ったのかはどの文献にも記載されていないようである。 ただ、九条地区で栽培されていた関係上、九条ネギという呼び名で伝えられたものらしい。
約160-170年前の文政の始め(1810年)頃、東九条村の小山藤七が極晩生の大根の種子を得て、 「藤七大根」という名称をつけ販売したのが始めとされる。
大正5年(1930年)頃には南禅寺方面方面の栽培が活発になり、同地在来の南禅寺大根(中堂寺大根系) との間に偶然に交配が行われ、形質も大いに異なり、栽培期間の短い「花不知早太り時無し大根」として各地方に広まっていった。
絶滅しました。
京菜の原種の「宇岐菜」は延喜年間(901年〜923年)に中国から渡来してきたものと考えられ、 各地に広まり系統的な分離により独特な地方品種が成立した(漬菜類)。 その中で、京都では京菜(みず菜)が品種確立され栽培されるようになった。
江戸時代の書物「雍州府誌」(1684年)には東寺や九条近辺で流水を畦に引入れ栽培するので 「水入菜」又は「まくり菜」と記載されている。
1800年代に入り京菜(みず菜)の1変種が自然交雑してでき、壬生地区の多く植えられたもので、 これを特に壬生菜と呼ぶようになったと考えられる。
九条地区では中生壬生菜がさいばいされ、九条早生という名で呼ばれていた。
クワイとは「鍬芋」の略語で葉の形が鍬の刃のようであることと、葉と葉柄のつき具合が「二刃鍬」の 形に似ているのでこう呼ばれたという。
クワイは中国から伝来し、「和名類聚抄」(931年〜938年)には「久和為」の名がでている。
京都にクワイが栽培されたのは、豊臣秀吉が天正14年(1588年)京都を囲むように造った御土居(土塀) を築いた時、近くの土地を掘って土を運んだため低地ができて水が湧き湿地帯ができそこへ朝鮮産のクワイを植えた のが始まりらしい。しかし、朝鮮産のクワイは味が良くなかったので、大阪三島郡鳥飼村のクワイが球根も大きく味も良いので 「鳥飼種」が栽培されるようになった。
九条は御土居築塀時期に低湿地帯ができたため、くわい作りが始まったと考えられる。 藍作りの盛んな九条で藍の裏作用の作物として利用されたためクワイの産地となったようです。
<京野菜とは>
昭和62年(1989年)京都府、京都市、JAグループ京都、学識者などにより「京の伝統野菜」として定義(注)づけられました。
-京野菜の定義-
1:明治以前の導入栽培の歴史を有する。
2:京都市域のみならず府内全域を対象とする。
3:タケノコを含む
4:キノコを除く
5:栽培または保存されているのも及び絶滅した品目を含む