3. 平成13年(2001)48日の葬儀の挨拶

本日は、お忙しいところ、たくさん葬儀に来ていただきありがとうございました。
おかげ様で、本日の葬儀を、滞りなく、済ませることができました。
新聞報道されていますが、事実とあまりに違いすぎますので、青木悠に変わって言わせていただきます。

1年半前に、交通事故に遭い、奇跡的に大津市民病院に助けていただき、左半身不随になり、大阪のボバース記念病院で歩けるようにしていただき、現在もリハビリ中でした。足も速く、スポーツ万能だったものが、突然、寝たきりになり、辛い入院生活と、壮絶なリハビリでここまで頑張って、日常生活が送れるようになっていました。
去年はリハビリのため、定時制に行っていたのを、昼間の高校を受けなおすため、一生懸命勉強して、3月27日合格して、飛び上がるほど喜んでいました。やっと、明るさと元気さを取り戻し、これから、もっと、もっと勉強して、大好きだった、おじいちゃんの商売を継ぐため、身体が不自由な分、大学へ行って、経営学を学ぶと言っていた矢先、3月31日のお昼に「合格のお祝いに、カラオケをおごってあげる」と、呼び出され、とても喜んで疑いもせず、笑顔で出かけたのに、それは、全くのでたらめで、体が不自由なため、自分で支えることも、逃げることもできない身体の弱い子を、メチャメチャにし、大勢で殺してしまいました。あんなに頑張って、高校に行くことを、とても楽しみにしていたのに、今日の入学式がお葬式になってしまいました。
どんなに悔しい悲しい、恐ろしい思いの中で、苦しんで死んでいったことを思うと、胸が張り裂けます。その場に、何人も居ながら、誰にも、悠は助けられることもなく、何時間も水をかけられたまま放ったらかしにされ、どれほど、悠は無念だったことでしょう。残忍な暴力で、頭がグチャグチャになり、即死状態だったのに、お母さん想いのやさしい悠が、すぐに死んだら、余りにも、お母さんがかわいそうと思って、6日間、全身全霊で生き延びてくれました。
意識がないのに、私が一生懸命話しかけると、涙がスーッと、悠の目から流れ、どんなにどんなに、悔しかったかと思います。
去年、卒業式は入院中で出席できなかったことを、今も悔やんでいたので、今日は、たくさんの人に、集まっていただき、さみしがりやで、甘えん坊の悠も喜んでいると思います。心からお礼申し上げます。


私達、家族を絶望のどん底に突き落とした人達を、あの世まで怨みます。悔しい、恐ろしい思いで、死んでいった、たった十六年間しか生きられなかった無念さはらすため、悲しみと悔しさの中で、もっと、もっと生きたかった悠と一緒に戦い続けます。
本日はありがとうございました。
                    H13年(2001)48日 悠の母  青木 和代